「芸能」とビジネス





昨今「地下アイドル」なる存在が、エンタテインメントビジネスとしても、かなりメジャーで(皮肉のようだが)無視できない存在になっている。少なくとも、「ごっこ」や「学芸会」の域は越えている。演者とファンと場の提供者の間で、明らかにお金が回っている。さらに、第三者である「ハコ」すなわちライブハウスがこのおかげで潤い、増えてきているという点は見逃せない。明確に経済効果があるのだ。

その意味で地下アイドルとは、豊かで安定的な社会の象徴ということができる。そのビジネスモデルの原点は、きっちり「金を落とす人」がそこに顧客として存在しているところにある。そして彼らが落としてゆくのは、かなりの金額である。みんながそれなりに金を持っている。その財布をがっちり「引っ張り出す」テクニックがあれば、ビジネスは廻ってゆく仕組みが出来上がっている。

ある程度固定ファンがいれば、彼らが毎回ライブ会場に来てくれて、毎回限定グッズやポラなどを購入してもらえる。メジャーなタレントのファン層が「広く浅く」なのに対し、「狭く深く」なのが地下アイドルのファン層の特徴である。こういう構造的な特徴を持っているからこそ、メジャーにならなくても、ある程度の金額を集められる。そこで思い出されるのが1980年代にさかのぼる「おたくマーケティング」である。

まさに1980年代から活躍し、おたく層に濃いファンが多かった谷山浩子さんは、ライブをやれば毎回同じ固定ファンが来てくれるので満員札止めとなり、CDを出せば「聴く用」「保存用」「予備用」と一人で3枚買うので、ファン数の3倍は売り切ってしまう。これは、このような濃いファンの行動様式に熟達し、彼らが最も喜びそうな形にビジネスを構築してたからである。当時私は、このビジネスモデルを「おたくマーケティング」と定義した。

今ではかなり一般的(とはいえ限られた業界でだが)となった「おたくマーケティング」という用語だが、メジャーな書誌の中できちんとした定義を伴ってこの言葉が登場したのは、私が1991年に出版した「こだわりのパソコン用語辞典『パソコンこれが「ふつ〜」です』」が最初である。この本の中で、項目として取り上げたのだ。もちろん用語集なので、それ以前から会話で使われてはいたのだが、意味と使い方を固定したのは私だ。まあ、大した自慢にはならないが。

この「おたくマーケティング」がアイドルの普遍的なビジネスモデルとなったのは、90年代の「アイドル冬の時代」である。この時代、J-POPが一世を風靡するようになると、アイドルは一般の若者から相手にされなくなった。テレビのアイドル歌謡番組はゴールデンから姿を消し、ディープな「アイドルオタク」だけが「追っかけ」をやる状況となっていた。このため背に腹は代えられず、この層を徹底的にターゲットにして編み出されたビジネスモデルが登場する。

そんな中から登場したのが、原宿のライブハウス「ルイード」をベースに活動する「東京パフォーマンスドール」である。ある種地道なマーケティングを重ねることで、テレビの力に頼らずとも、一定以上のアルバムを売り上げ、事業収入としても充分にペイする売り上げを事務所にもたらしたのである。ここにアイドルのビジネスモデルはマスメディアベースのものから、おたくマーケティングベースのものへと進化した。

今となっては「券のオマケ」ではあっても、CD販売の最後の砦となっていしまったAKBグループ。その「AKBモデル」はこれらの「オタクビジネス」の成功を踏まえ、そのモデルをベースにメジャーでも通用するように、より洗練・進化させたものということができる。実際、デビュー当初は劇場を中心に濃いファンに支えられた存在であったし、今でもキチンと劇場で直接触れ合えるメンバーをチーム内に抱えている。

その昔、といっても前の東京オリンピックの頃までだが、ビッグネームの芸能人やスポーツ選手には、タニマチや、パトロンといった個人的な資産家のスポンサーがついていた。金銭的な面倒を見る代わりに、収益を受け取る。これは江戸町人文化の流れを汲む伝統であり、長い歴史を持つモノである。ある意味、ファンドがベンチャー経営者に「投資」するように、贔屓のタレントに「投資」したのである。

とはいえそのリターンを個人が吸い上げるのが目的ではなく、広く人気を集めることで世の中に活気を与えることをゴールとしていたので、当時資産を持つ篤志家が社会的責任として行っていた「社会的貢献」の一種とみることもできる。いずれにしろ、広く浅くではなく、特定の人間が集中的に費用負担を行っていたのだ。このような時代は、芸能がビジネスではなく、文化だったということもできる。

それが高度成長期以降、エンタテインメントはマスメディアを集金マシーンとして活用するモデルに変化した。大衆が豊かになり、大衆の金をマスレベルで広く浅く集めた方が、よほどか大きなキャッシュフローになるようになったからだ。この時点から、エンタテインメントは「金儲けの道具」としてビジネスになり、タレントは金を生み出すためのツールとなってしまった。爾来半世紀、芸能界は「一攫千金の世界」となってしまい、それが社会的常識となってしまっていた。

こう考えると、地下アイドルのビジネスモデルは、高度成長以降のタレントを金儲けのツールとして捉えるビジネスモデルではなく、日本の伝統的な芸能のビジネスモデルに近いことが判る。高度成長期的な「マス」を前提としたビジネスモデルではなく、元来の「ファンが支える」ビジネスモデルに戻せば、豊かな社会の「オタク」はかなりの可処分所得を持っている分、「マス」無しでも充分にペイできる。

この均衡を小さなマーケットで実現してしまったのが、地下アイドルである。メジャーデビューしていなくても、毎回のライブに来てくれるファンが一定量いて、彼らが手製の物販とチェキにお金を出してくれるのなら、それなりに金は廻る。マスメディアに載らなくても、インターネットで配信してしまえば、ファンはヴァーチャルな姿にも会える。こうして本人とマネージャの喰いっぷちなら、十数人の濃いファンがいれば充分に稼げてしまうのだ。

ある意味、演歌歌手や往年のスター歌手の「営業」は、テレビと組めなかった分、この古い形を維持してきた。一定数の「オバサマの追っかけ」を捕まえて、同じ客を相手に全国でディナーショーを開いて回れば、いつも同じオバサマが来てくれて事業が成り立ってしまう。この「往年のスター」のビジネスは、桁が一桁違うだけで、構造は地下アイドルと全く同じである。まさに、これこそが芸能界の王道ともいえるのだ。

そういう意味では、このモデルこそが日本の「芸能」の原点、基本中の基本ということもできるだろう。芸能にメディアは必要ない。ましてや演者はメディアが作るものではない。今「マス」をベースとする20世紀の産業社会型モデルは、21世紀の情報社会型モデルへの変化しつつある。地下アイドルは、このような「大きな社会構造の変化」が、芸能という局所で引き起こした「小さな変化」ではあるものの、これからの時代のビジネスモデルを考える上では重要な示唆を含んでいるというべきだろう。


(18/01/19)

(c)2018 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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