男女同権の二つの意味





20世紀後半以降の先進国においては、男女同権とは参政権など政治上の権利について男女の違いをなくすことに代表されるように、主として人権面での平等が重視されるようになっている。「個人一人一人の存在をを尊重し、究極的には性別・年齢・国籍・人種などによる差別をなくさなくてはならない」という文脈の中から出てきた考え方である。

それはそれで極めて重要なことである。しかし、参政権の拡大はそのような人権意識だけで広がったものではない。参政権の変化については、先進国に於てはおよそどの国でも、産業革命以降の社会変化により階級社会が崩れ大衆社会化してゆく中から、制限選挙→男子普通選挙→男女普通選挙という形で、投票権を持つ対象が拡大するという流れをとっている。

この変化を分析すると、制限選挙→普通選挙という流れと、男女平等選挙の実現という全く別の二つの要素が同時並行的に起きた結果もたらされたものであることが判る。「制限選挙→普通選挙」は一見人権の拡大のように見えるが、実は投票権が「家単位」から「個人単位」へと変化することを意味している。これを理解するためには、19世紀に「家」が持っていた役割を理解する必要がある。

19世紀の日本に於ては経済活動の主体は「個人」ではなく「家」であった。大家族制度の下での「家」が、今でいう会社のような「組織」として機能していたのである。当然、納税も個人ではなく家単位で行う。制限選挙とはこのような社会構造を前提として、納税単位である「家」に、納税額に応じて投票権を与える制度である。これはこれで、極めて合理性が高い。

明治時代の議会は、このような選挙制度をベースに選ばれてきたため、税金の使い道については極めて厳しい姿勢を貫いていた。議会とは、自分の納めた税金が無駄なくキチンと使われているかどうかを監査するための場だったのだ。従って議会は、政府の予算案に対しては非常にチェックが厳しく、軍備や社会インフラといった大型の支出はなかなか議会を通すのが難しかった。

ということは、このような家制度に基づく制限選挙を存続した上でも、家の資産、ゴーイングコンサーンのB/Sを受け継いだものは、男であろうと、女であろうと、家督を相続するものとして権利の主体となるようにすれば、男女平等の制限選挙は実現できるのである。すなわち、制限選挙は本質的には男女平等と相容れないものではない。男女同権と、男女普通選挙は全く意味が違うのだ。

男女平等とは、普通選挙あるいは女性参政権問題ではない。それは、大衆社会化する中において引き起こされた政治の構造変化である。そもそも一人一票はおかしい。責任ある社会生活を送っている人にも、無責任な生活に明け暮れている人にも、同じ一票が与えられるから、ポピュリズムが起こる。納税に応じて発言権が得られることの方が、政治に対する牽制として効果があるのは、明治期の議会と政府の関係が示している。

旧民法のスキーム下で、男でも女でも家督の相続権を持つというのが、真の意味での男女同権である。もっというと家督相続とは、明治以前の家制度固有のものではない。それは単に家についている生産的な資産をどう扱うかという問題である。資産を承継することにおいて、男女の差がない。こちらの男女同権に関しては、20世紀後半の日本では全く顧みられなくなった。

日本においては、長らく女系大家族が家族制度の基本となっていた。藤原氏が「外戚」として権勢を張ったと言われているが、この意味は、当時は貴族も女系家族なので「天皇の実家」だからプレゼンスがあったということである。江戸時代でも農村は完全に女系大家族であった。豪商などでも、有能な番頭を婿に迎えて事業承継を図る事例が多かったのはこのためである。

このように江戸時代においては、武士を中心に形式的な男系家族制度はあったものの、臨機応変に建前と本音を使い分けるフレキシビリティーの方が重視された。このような考え方は20世紀前半ぐらいまでは、日本社会に根強く残っていた。名家では、最初の子供が娘だと、婿を貰って家を継ぐことを前提に、教養やマナーなど極めて厳しくストイックに育てられたものである。

私事で済まないが、私の父方の祖母はそういう明治の長女だった。その後弟が生まれたので、家を継ぐことはなくなったが、その育てられ方は極めてストイックなものだった。それは実質的な家長として、「家」という組織をマネジメントしていくことが求められたからだ。実は出ては消える皇室の女系の問題も根っこは同じ。家制度の本質的な意味を理解できない人が増えてしまったから、妙な精神論が跋扈することになる。

近代になって、それまでの日本のスタンダードたる「女系大家族」が崩れ、一夫一婦制が確立した。それまでの大家族では、一生独り者の男が大部分で、伴侶を得られたのは3割程度と言われている。日本でドラスティックに家族制度が変化した裏には、この「男にとっての利権を逃したくない」という強いモチベーションが働いたことは間違いない。つまり「普通選挙」の方は「モテない男」達のヒガみがバクハツし昇華したものなのだ。


(18/03/02)

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