メディアのマーケティングセンス





報道と通信(通信社の通信)とは、似て非なるものである。どちらも「ニュース」を扱うものではあるが、その機能や役割は大きく異なる。「通信」は、ファクトそのままの一次情報を伝えるところにその存在意義がある。新鮮な情報を、生のまま天然のまま手を加えずに届けるのが使命である。いかに速く、いかに間違いのない情報を伝えるか。いわば鮮度が命の魚屋のようなものである。

これに対し、「報道」は「論評」という二次情報を伝えるところがそのアイデンティティーである。伝える内容はファクトではなく、論者のオピニオンである。ある価値観をベースにファクトを、分析・解説し、その評価や判断を行っている。リアルタイムで史学的な分析を加えているということもできるだろう。これは調理や味付けの良し悪しで評価される料理屋のようなものである。

こういう構造をもっているからこそ、通信はメディアでありコミュニケーション・インフラとして捉えることもできる。だから一次情報をを伝える「通信」的ニュースは、マスコンテンツになり、広告メディアとしての営業が可能になる。実は日本のニュースメディアのビジネスモデルはこちらの方であり、やるべきことは「報道」ではなく「通信」なのである。

その一方で、「報道」はオピニオンを同じくする人の浄財で成り立つ。その「論説」をコンテンツとして買ってくれる人がいるから、ビジネス的に成立するのだ。そういう意味では、文学書や学術書といったハードカバーの書籍のビジネスモデルに限りなく近い。実際欧米のクォリティーペーパーのサーキュレーションは、マスメディアではなくそういう「書籍」のそれに限りなく近い。

もう何度も語っているが、日本では「ジャーナリズム」を自称する人は、誰もこの事実をわかっていないのだろうか。日本の新聞は、そのルーツをたどると自由民権運動で勃興した「政党」の機関紙に行き着く。そういう意味では、もともと新聞は自分達のプロパガンダを主張するためのツールであり、それが「事件」を扱う時には、自分達の主張に基づいた分析がなされる故、あきらかに「報道」の側であった。

それが20世紀に入り、日露戦争以降の日本社会の大衆社会化の波の中で、戦後の政府のロシアへの対応が弱腰だとして強硬路線を主張するそのオピニオンが大衆の広い支持を集め、マスメディアに「なってしまった」のだ。ここに不幸が始まった。「報道」であるにもかかわらず、本来「通信」が果たすべきマスへの情報伝達の役割を担うことになってしまった。

かつてジャーナリズムとは上から目線で自分の意見を主張して、人々を啓蒙するものだと信じている人達が、マスコミ業界には多かった。まさに大衆を見下げた「愚衆観」と、妙な優越感に基づく「選民意識」がプンプンしている。これこそ、この本来「報道」であるべきものが、「通信」と自身を取り違えることにより、「自分達の意見に大衆が従う」と思い上がってしまった結果である。

確かに高度成長期までの中央紙の新聞社には、東大法学部卒の官僚崩れや、早稲田政経学部卒の政治家崩れのような連中が多かった。またタチの悪いことには、メインストリームに行かなかった自分達の方が、ニヒルで格好いいと思い上がっていた。その姿勢が、現状に不満を持ち、上昇志向をもあって背伸びしたがっている人に対しては、ちょっと上からモノを語るやり方は魅力的に映っていた。

そのような「批判主義」は、自分が格好をつける時のベンチマークとなるからだ。大衆も自分達が劣っていて学ばせてもらおうなどとは思っていなかったが、多少上から目線の手口を自ら真似することで、自分が一段アップグレードしたような気分になっていた。相手が権力を持っていようとなかろうと、「批判」することは極めて簡単である。そのわりに相手と対等以上の立場になった気分になれる。

これは現状に不満が溢れていたからこそ、そのうっぷん晴らしとして支持されていたに過ぎない。日本が豊かな国になり、社会インフラも充実し、安定した社会になってから自我を形成した人からは全く支持されない。自分に自信を持ち、今の幸せを大事にする人には響かないからだ。日本の「ジャーナリズム」が「マスゴミ」といわれる理由はここにある。百年以上こびりついた垢を拭うのは不可能だ。

百歩譲って、既存の新聞や報道は出直して、クォリティーペーパーの道を目指せばいい。幸い、そういうのが好きな団塊世代は、最大のボリュームゾーンのターゲットとしてあと十年は健在である。その間に、数万部のサーキュレーションがあれば生き残れるようなビジネスモデルを構築できるではないか。とはいえ、これはマーケティングセンスの問題である。これを今の新聞社に期待できないことは、重々承知しているだけになんだか「ガン宣告」みたいになってしまうのだが。


(18/06/15)

(c)2018 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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