自我





生活者の意識や行動の特徴を分析しマーケティングに活用する、生活者インサイトという手法がある。定量的な生活者インサイト分析を行う際に最も活用される解析手法が「コーホート分析」である。コーホート分析は日本で発明された統計解析手法で、意識や行動を規定する要素を、「世代効果」「時代効果」「年代効果」の三つの要素に定量的に分析することができる。

コーホート分析のためには、何年間か(通常最低でも5年おきで10年間に3回)に渡って意識や行動に関するサイコメトリック的な同じ質問項目を調査したデータが必要になる。このようなデータを毎年調査してるデータとしては、ビデオリサーチ社の「ACR調査」の生活意識調査が代表的であり、マーケティングの目的では主にこのACRデータの調査が使われる(他にも政府系の調査はあるが、元データまで遡って解析できないので、この目的にはそぐわない)。

昔から「世代論」は良く語られていたし、エジプトの古文書にも「最近の若い者は、、」というフレーズがあるというエピソードは、その真偽はさておき良く引用される。このように世代論は感覚論あるいは精神論で語られることが多かったが、コーホート分析が可能になることにより、定量的なデータに基づく「世代論」が可能になった。本当にある時期に生まれた人々だけに特徴的な要素を抽出できる。

そのような世代的特徴を個別に検討してゆくと、それらが、それぞれの世代が背負っている刷り込みにより規定されていることがわかる。数年ごとに激しい変化が起こり続けてきた情報メディアに関する意識や行動をベースに分析すると、人格や自我が形成されるティーンズの頃にどういう情報環境だったかが、その人のメディア観や情報行動を規定してしまうことがありありと見えてくる。

その人のベーシックな人格や価値観は、まさに人格形成期の刷り込みが元になっている。すなわち人格とは、遺伝的な性格もあるがそれ以上に、十代の頃どういう社会環境やミームの中で育ったかということにより決定付けられるのだ。こう考えると、貧しい時代に「俺のものは俺のもの、他人のものも俺のもの」として育った70代以上のジジイが、キレて暴力的事件を起こすことが多い理由もよくわかる。

人生は、十代の間に決まるのだ。自分の立ち位置は、自我が完成するまでに決まってしまう。それも自分がどうこうしようと思う以前に、その時代や社会の影響により規定されてしまっている。そういう意味では、それ以前からプログラムされてしまっているものも多いかもしれない。そうである以上この部分はまさに「世代効果」であり、自分の力ではどうしようもない不可避的なものである。

問題なのは、自我をきちんと確立できていないまま大人になってしまう人がいることだ。自我が時代の影響を受けてしまうことは、ある意味避けがたい現象である。しかし、それ以前に自我を確立できずに、世の中に甘えて生きることを当たり前と思っているひとが多いのだ。世間にまかれるか、世間と対峙して生きるか。自分らしく自立して生きるのか、多勢に甘えて生きるのか。

「甘え・無責任」を選ぶ裏には、近代的個人の立脚点としての自我が確立できていないという問題が潜んでいる。これはやはり近代日本が「追い付き追い越せ」のスローガンの元、まずは技術的に「追い付く」ことにオプティマイズした戦略一本で来たことが大きい。まさに、「パクりによるキャッチアップ」である。このためには「自分がどう思うか」ではなく、「ベンチマークの相手になり切る」ことが最も早道だからだ。

全ての教育が、このための手段として進化してきたことも大きい。自分で考えたり答えを出したりするのでは無駄が多いので、ベンチマーク相手のやっていることを「正解」として、ひとまずそれを丸暗記してマスターする。確かに「追い付く」ためには、それが最短距離である。しかし、それは緊急避難的なやり方だ。西欧列強に植民地化されないためには、とにかく必死に「追い付く」ことが求められた文明開化期には適切なやり方だったかもしれない。

しかし、それ以外の「近代教育」を経験したことのない日本人は、20世紀半ば過ぎてもそのやり方だけで突っ走ってきた。こういう方向にオプティマイズした教育が生み出した、秀才能吏としての官僚が「40年体制」を構築し、自分達のバックグラウンドといえるその体制を20世紀後半になっても後生大事に続けていた。その結果、21世紀的な情報社会には不適合な人間を大量に生み出してしまった。

他人から教わるな。教育はいらない、勉強はいらない。先生に教わっている限り、絶対に先生は越えられない。発見すること、自分見つけることが、本当の学習。本当の教育者は、覚えることは教えない。知識を教えるのは、教育者ではない。自分の目で見て、自分で発見して、自分で解決することを教えるのが教育者である。モノまねでない、自分だけの世界の見方を持つことが大事なのだ。せめてこれから自我を形成できる若者には、未来を与えてあげよう。


(18/06/29)

(c)2018 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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