無責任な人々


8月13日から14日にかけて関東地方を豪雨が襲った。これにより増水した川にのまれて、キャンプに来ていた人達が死亡した事件については、テレビや新聞の報道でご存じだろう。御冥福はお祈りするが、なくなった方々はお気の毒だが、周辺の状況を見るにつけどうにも同情できない雰囲気があふれている。それは事故の原因として、自分勝手で無責任、それでいて周りに迷惑をかけ放題という、日本人の悪い面、醜い面がモロに出ているからだ。

もちろん自己主張は当然の権利だからするのは構わない。だが、それなら全て自分で責任を取るべきだ。自分で責任を取れもしないのに、主張だけするのは自分勝手というものだ。できもしないことはいってはいかんし、やってはいかん。ましてやそれをあえてやって、周りに迷惑をかけるのでは言語道断。覚醒剤中毒でクルマを暴走させ、人をハネまくって大事故を起こし、大渋滞を招いてさらに迷惑の上塗りをするようなものだ。それで本人が死んでも誰も同情しないだろう。これと同じだ。

事実関係を整理すると、今回の原因は全て当人たちの事故責任に帰されるものばかりだ。
1. キャンプ禁止の場所でキャンプする。
2. 誰が見てもより危険で逃げ場のない対岸側でキャンプする。
3. 荒天にも関わらず、キャンプを強行する。
4. キャンプに幼児を連れていく。
5. 再三の危険告知のサイレンや警察の非難勧告を聞き入れない。
これらの無責任な身勝手が重なったからこそ、こういう結果を招いたのは明白だ。

ある程度アウトドアの経験があるヒトならもちろんだが、まっとうな生活感覚に基づくリスクマネジメントができる人なら、どこかの時点で切り上げて帰ってくるか、もっと安全な場所での設営に変更するかして当然だろう。実際パーティーの中には危険を感じて引き上げた人もいるという。そこまで確信犯なら、死者にむち打つようではあるが、文字通り自殺行為というしかない。

警察や消防の人達にとってもいい迷惑だ。最初に勧告を聞き入れていれば、何事もなく済んでいたことを、自分達が責任を取れないことを勝手にしておき、あげくに救出のために警察官や消防士は命の危険まさらされる。きちんとやることはやっているのに、それを無視して事故になる。これで社会的責任を問われてはたまらない。PL法的にいえば、やる方はやれることを全部やっているのだから、どう考えても非難されるところはない。全て当人の責任ということは明白だろう。

日本の社会はどうもこういうところがおかしい。死に急ぐ自由、危険を侵す自由はある。それはそれで当人の責任でやらせればいい。そのかわりあとで助けを求めてももう遅い。こうすべきだろう。安全ベルト、チャイルドシート、はっきりいって義務化はおせっかいそのものだ。自分の責任で判断し、その結果自分が犠牲になるなら、それは自業自得というもの。もし着用度を高めたかったら、事故を起こしたときに、一罰百戒状態にすればいい。ベルト着用せずに事故で死んでも、保険はおりないとか。ベルト着用せずに事故を起こした遺族には、事故の復旧費用とか、渋滞等の被害補償とかまるまる請求されるとか。

今回の件についていうのなら、はっきりいって危険を冒すのも、死に急ぐのも、自由と言えば自由だ。しかしそれなら、最後に助けを求めるな。助けを求めてもこないと思え、それが自己責任というものだ。自分でリスクを選好しておいて、分が悪くなってから助けを求めるのは甘すぎる。助けを求めるなら、非難勧告が出たときに退去すべきだ。そこであえてきけんを選んだのなら、何が起ころうとも自力で解決しろ。それができないなら座して死を待て。これが人間の掟というものだ。そのくらいわからないようで一人前の顔をされては大迷惑だ。

責任を取りきれる人は、自分で責任を取ればいい。責任を取れない人が、責任を取れる人のマネをしたとき、痛い目にあうようにさえしておけばいいのだ。責任が取れないくせに背伸びして無理した人には、天罰が当たればいい。そうだ、今回の結果は甘えに対する天罰と考えればちょうどいいだろう。とにかく日本人は、すぐ人に甘えて無責任な人が多い。こういうヤカラは生きてるだけで人類の害悪だ。問題なのは、この無責任な態度だ。これを改めない限り、日本人は地球上からいられなくなるレッドカードを切られるぞ。

(99/08/20)



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