ウォルトディズニーに学ぶ





エンタテインメントの二つの要素がある。一つはビジネスとして金を儲けること、もう一つは人々に幸せを振り撒くことだ。この両方がバランスして出来てこそ、極上のエンタテインメントになる。幸せを振り撒くからこそ、人々は財布の口を緩ませる。だから幸せが大きければ大きいほど、動く金も大きくなる。この芸術的なバランスの上に成り立っているのが、ディズニーのスゴいところである。

しかしこの中では、ビジネスにするのは意外とたやすい。たとえば「お涙ちょうだいに」すればいいのだ。紋切り型であっても確実にヒットに繋がるパターンは、時代や社会状況により変化するものの、必ず存在する。そこを狙えば、作品の質はさておき、収支をプラスに持ってゆくことは誰にでもできることではないが、それが得意な人にとってはそれほど難しくはない。

決してクリエイティブな作業はできないが、この手の「当てる」作品を作ることに長けたプロデューサーは、洋の東西を問わず芸能関係に多くいる。というより、大きな金が動く世界である以上、きちんと資金を回収できるこういう人達の方が重用され、目立ってくるのも仕方ないところではある。だが、そこから生まれてくる作品はエンタテインメントとしては違う。金の匂いがストレートにすればするほど、エンタテイメントから遠ざかってしまう。

お客さまがエンタテインメントにお金を出してくれるのは、辛い日常から離れた世界に浸りたいからだ。それをいかにお金を集めやすいからといって、辛い日常への共感に金を出させるように変えてしまっては、本末転倒である。そして、垣間見せてくれる世界が日常から遠くなればなるほど、生み出す付加価値は大きくなる。やはり、この面で天才的なクリエイターだったのは、ウォルト・ディズニーだろう。

バレないウソは夢という。ウソはウソなのだが、それをお約束事として「夢」にしてしまうことで、誰もが納得するビジネスにする。私はよく引き合いに出すのだが、かつて豊田商事事件という詐欺事件があった。老人に金の地金を販売すると偽装して、金を巻き上げるいわゆるペーパー商法の詐欺で、首謀者の永野一男が報道陣の目前で刺殺されたことから、社会的な話題となった。

この手口として、同社の詐欺商法の営業マンが取ったのは、寂しい独居老人を狙い、実際の子供以上に誠心誠意お世話をすることで信用を得て懐に飛び込み、「必ず儲かるから」といって偽証券に金を出させるというものだった。豊田商事が違法なのは、その手口の全てではない。詐欺に問われるのは、後半の「儲かることを約束して、架空の証券を売りつける」という嘘をついている部分だけである。

前半の「寂しい独居老人の心の隙間を埋める」という部分は、違法でも詐欺でもなんでもない。よく勘違いする人がいるが、ここは何も間違ってはいない。「レンタル家族」と称して、肩を揉んだり背中を流したりして「いい夢」を見させてあげ、その代金を頂く分には、それが何十万しようと何百万しようと全く違法ではない。夢に対しては、等価交換が成り立っており、費用対効果がバランスしているからだ。

ある意味、経験したことのないようなスケールの大きな夢を見れる代わりに、その分のお題はきっちり頂くというのが、エンタテインメントの付加価値の本質である。これが想像の世界の理想論ではなく、現実のものとして実現できることを示したのが、ディズニーの功績である。逆に言えば、ウソを「夢」にしてしまうマジックは、エンタテインメントの世界にだけ許された秘儀ともいえる。だからこそこれからの時代は、あらゆる商品やサービスにエンタテインメントの要素が求められるようになるのだ。


(18/10/12)

(c)2018 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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