どっちを向いているの?





現代のビジネスはバリューチェーンで成り立っている。源初的な生産者と最終的な購入・使用者が直接対峙することは極めて少ない。超高級なオーダメイドによる手作りワンオフ生産のものぐらいであろう。したがって、ビジネスをする場合にはバリューチェーンのどこかのポジションに入ることになる。基本的にはいわゆる「上流」から「下流」へいろいろな企業や組織、個人が関わることでビジネスの流れができる。

バリューチェーンは、金の流れと商品の流れについていうのなら、それぞれ下流から上流へ、上流から下流へと一方通行である。しかし、取引に関わる情報については、一方向ということはなく、バリューチェーンの中で複雑な動きをする。特に社会の情報化が進むと、多様な情報が極めて複雑に動くようになる。逆に言うと、情報化社会のバリューチェーンではどの立ち位置で情報的をよりどころとするのかが重要になる。

これは別に今に始まったことではない。最終的にお金を出して商品やサービスを購入するクライアントや顧客を向いているのか。それとも商品やコンテンツを生産し供給する側を向いているのか。バリューチェーンの途中に入る事業をやるためには、このどちらを向いているのかきちんとわきまえるのは20世紀からビジネスの基本だった。たとえば、商社や広告会社のようなビジネスは、立ち位置の見極めこそがビジネスのカギである。

とはいえこれがわかっていない人が多いのだ。これはそんなに難しく考えることではない。自分の仕事が誰にどういうメリットを届けるものか、これがキチンとわかっていれば問題はない。ところが日本のビジネス界ではこれが曖昧になっている。たとえば、購入する顧客の立場に立たなくてはならない小売商がメーカーの手先のようなリアクションをすることは、21世紀に入って20年経った今日でもしばしば経験する。

これには歴史的経緯も影響している。戦後の日本は、敗戦後の混乱による経済低迷の影響で、貧しい発展途上国から再出発する必要があった。その後朝鮮戦争特需に始まる高度成長で急速に経済発展したため、物不足のまま経済が成長した。このため顧客ニーズを理解せずとも、単にそこにものがあれば飛ぶように売れ、売れまくることでさらに経済が成長するという、シンプルな経済循環が景気を拡大した。モノを売る苦労をしないまま、経済大国になってしまったのだ。

途中でドルショック・オイルショックもあったものの、基本的にバブル期まではこのノリだけで経済は成り立ってきた。ところが、バブル崩壊と共にこの裸の王様ぶりが露呈する。マーケット・インでなくてはビジネスが成りたたなくなった。一部のオーナー企業家からスタートした企業はさておき、儲かるからとサラリーマンが理屈で始めた多くの企業にとっては、お客さまの気持ちを理解することなど、今までやったこともなく瞬く間に成長は失速した。

こうなると混乱が目立つようになる。自分はクライアントの利益を代表しているはずなのに、提供側の利益代表になってしまい提供側の論理で欲しくもないモノを売りつけようとする。あるいは、提供側の利益代表だったはずなのに、売れ行きが悪いものだからつい値切りにのってしまう。これでは売り上げは立つかもしれないが、利益を確保することはできない。もっともそれまで「利益」という概念を意識したこともないのだから仕方ない。

日本の企業、特にメーカーが最後までプロダクトアウトを抜け出せず、ついにはグローバルなマーケティングの趨勢について行けなくなったのは、この「本来バリューチェーンの中で、どちらを向いているのか」が曖昧で、混乱が生じるとどう対応していいかわからず、目先の混乱から右往左往しているうちに逆のスタンスを取ってしまうことが多かったからだ。

経済学者のガルブレイスは、すでに1970年代に「カウンターベーリングパワー論」を唱え、流通チャネル全体が製造業の価値観に染まってしまっては小売業の意味はなく、消費者の代理人として、その購買力のパワーをバックに製造業に対して消費者の利害を受け入れされる圧力をかけられるからこそ存在感が生まれると分析した。ある意味、こういう異なる価値観をバリューチェーンの中に取り込めるからこそ、中間業者は存在意義が生まれるのだ。

真のマーケット・インとは、これなのだ。バリューチェーンの内側に送り手と受け手のコンフリクトを取り込むことで、送り手側の限られたリソースの中から受け手側の最大のメリットを実現する。これがあるからこそバリューチェーンは機能するし、結果的に全体最適が実現される。こう考えると、バリューチェーンはちょうどサッカーのゲームが行われているピッチのようなものとみなすことができる。

フォーメーション上ゴールの近くにいる選手には、味方のディフェンダーも敵のフォワードもいる。だから試合になる。単にいる場所と、その場所で果たす役割は異なるのだ。バリューチェーンのインサイダーとなる事業者が、その位置付けられるフェーズとは関わらず、自分が供給側の代弁者なのか、需要側の代弁者なのか、そのスタンスをわきまえなくてはならないのだ。そう考えると、日本のメーカーはオウンゴールしまくりではないか。これじゃ勝てるわけがないのだ。


(18/12/21)

(c)2018 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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