違法を恐れるな





近代法は「やってはいけないこと」を違法な行為として禁止する体系となっているところに特徴がある。その典型は「麻薬及び向精神薬取締法」であろう。この法律には条文および付表にこの法律により禁止される薬物が明確に規定されている。このため条文や付表に載っていないアッパーやダウナー等の向精神効果のある薬剤が、「脱法薬物」として出回ることになる。

すると今度は、それを違法とするために条文や付表を改正し、禁止薬物の中に加えられる。このいたちごっこの繰り返しになってしまう。しかし、これはある意味近代法の根幹であり、こういう体系になっているからこそ自由や人権が担保されている。ここが江戸時代の「御触れ」のように「やるのが許されること」を規定する近世以前の法律とは根本的に違うところである。

この考え方と「推定無罪」の考え方を合わせると、「自己責任に於て法律を犯す分には、その行為が第三者にバレなければ問題はない」という結論が導き出せる。それは官憲に見つからなければ良かったり、誰かが密告しなければ良かったり、ということである。外に開かれていない、閉じたコミュニティーの中で秘密を守るのであれば、そこに法律は介入できない。

この結果、一般的な社会生活が行われている系とは別に、そこから独立した「黒い系」が成立することになる。結局法律というのは、オープンになっているオーバーグラウンドだけを対象としている。アンダーグラウンドであれば、法律は及ばない。いや、「お上」の威光や法律の及ばない世界は、人間社会には必ずあり、それがアンダーグラウンドなのだ。これは別のモノ、別の次元にパラレルに存在するものなのだ。

アウトローの集団は、本来中世・近世的な法体系における許された範囲を逸脱する「御禁制」のモノやコトを取り扱う集団として生まれた。人間の欲望が無限である以上、「これを逸脱するな」と決められても、その外側にある「エモいコト」を思い付いてしまう人がいる。そうするといくら禁止したところでそれに手を出す人が生まれる。そしてそこにマーケットが成立する。

洋の東西を問わず、近代以前の社会は階級社会・身分制社会であり、規制は社会的クラスターの中に対して行われた。そこから抜け出してしまった「外道」や「悪人」は、もはや人間でない以上、人間に対する規制の対象ではない。アウトローの集団はカースト外の存在となることにより、合法的に法律の対象外となり、逸脱行為を自由に行うことができた。

そのようなアウトロー集団は、近代に入り法体系が変わると近代法の背景に合わせ、「法律により禁止されていることを秘密裏に行う」集団に進化した。法律の対象外の存在になれない以上、自分達の命綱である「非合法活動」を行うためには、近代法の抜け穴である「バレなければ無罪」というルールを活用するしかない。そして、そのために鉄の掟で秘密を守ることが、組織の存立基盤となった。

秘密を守るためには、寝返り、裏切り、密告といった抜け駆けを防ぐことが重要である。だからこそ裏切る可能性が少ない親族や同郷人が組織のバックボーンとなった。これは世界中の「黒組織」で見られる現象である。しかし非合法なものへの欲望が人間の性である以上、これはある意味で必要悪である。アメリカで禁酒法が施行された時代に、マフィアがその勢力を大々的に伸ばしたという事実が、それを如実に示している。

ニーズがあるが法律により禁止されてしまったら、人々の渇望感は高まる。そうなると需給の関係から、市場価格は極端に高まる。価格が上がるということは、費用対効果で大きなリスクを取ることもいとわない人が増えることを意味する。ここまでくれば、アンダーグラウンドな経済が生まれることは、マーケティング的な必然である。このように地下経済は、公的な規制が必然的に生み出した市場なのである。

となると話は決まっている。そういう規制を好み、利権としてきたヒトたち。すなわち官僚の横暴に対抗するために、アンダーグラウンドな世界が生まれてくるのだ。そう考えると、官僚は暴対法などに見られるように、公権力を使ってアンダーグラウンドな世界を抹殺しようとする理由も理解できる。法律は官僚の利権の道具であって、人々のためのものではないのだ。

しかし、いかに公権力でも、人々の心の中には入れない。そもそも、公権力は理屈で攻めるしかない以上、人々の「心」というない面にはアクセスできない。人々が好きな世界、好意を寄せる世界はヤクザの世界であって、官僚の世界ではない。そもそも「ヤクザ映画」「マフィア映画」というのは数限りなくあってヒットしているが、「官僚映画」なんてのは誰も見ない。

そしてAI時代は理屈ではなく心の時代である。「コンピュータ以下の人間」に成り下がってしまうのが嫌なら、法律に守ってもらおう、公権力に守ってもらおうとおもうのではなく、法律を無視してどんどんやりたいことを自助努力でやっていく必要がある。違法こそ、AI時代に人間が人間らしく生きてゆくための最高のキーワードである。違法を恐れるな。AI時代には、自分の欲望が法律なのだ。


(19/03/08)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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