おたくの原点






この十数年、またまた「サブカル」という言葉が良く使われるようになった。サブカルという言葉自体は、半世紀以上前からアート系の分野では使われてきた。しかし、この言葉が登場した「若者革命」が起こった1960年代末の「サブカル」というニュアンスと、現代で使われている「サブカル」というニュアンスはかなり異なる。昔の本や資料を読むときには、ここを勘違いしてはいけない。今回は、それがどう違うかについて語ってみよう。

この違いは、エンターテインメントやコンテンツの分野における、当時と今との状況の変化を理解する上では非常に重要になる。逆に言えば、この違いがわからずに当時の作品に触れると、とんでもない勘違いをすることにもなりかねない。社会の情報化の進展により、昨今はどんな昔の資料でも現代の資料と同様に容易に入手できる。それだけにこの違いを理解していないと、現代の視点からコンテクストを読み違えてしまうリスクも非常に高まっている。

1960年代から1970年代においては、サブカルはアンダーグラウンド、略してアングラとよばれ、映画や演劇、音楽といったパフォーマンスアート、絵画やマンガといったグラフィックアートの分野で非常に盛んであった。それまでの「芸能界」とは違うところから、表現したい何かを持っている人が、自分でそれを表現するために作品を作るという現象が同時多発的に起こり、それが「サブカル」とか「アングラ」とか呼ばれたのである。

それまでは、映画と言えば製作・配給・興業を一手に握る大手映画会社のプログラム・ピクチャーのことであり、音楽と言えばレコード会社が主体となって専属作家が作り専属歌手に歌わせる「流行歌」のことであった。これに対して、映画にしろ音楽にしろクリエイター主体で作品を作り、その作品を世に発表してゆくやり方がここに生まれたのである。そういう意味では、今の製作委員会方式による映画製作も、自作自演中心のJ-Pop、も全てここから始まったのだ。

そういう意味ではこの時代のサブカルは、基本的にクリエイターの世界であった。新しいことをやろうというクリエイターが、互いに実験を繰り返す中から新しい表現方法、制作方法を実現してゆくプロセスがサブカルだったのだ。サブカル的な習作を制作することで、新しい表現を実験してみたり、どこまで新しい手法が技術的に実現可能かなど、思い付いたアイディアを自由に表現の中で試すことができた。そしてその中には、今では常識となった手法も多い。

もちろん、中にはその作品が非常に時代の心をとらえ、結果的にかなりヒットし、商業的にも成り立ってしまったという事例もある。特にパフォーマンスアート系の作品には、そういう意味で時代を代表する作品として後世に名を遺したものもある。寺山修司や唐十郎の演劇、はっぴいえんどを中心とする日本語ロックなど、現代のエンタテインメント界が出来上がる上で計り知れない影響を与えたものもある。

ここで大事なのは、「スターがいてファンがいて」というエンターテインメントのミニ版・マニア版ではなかった点である。現在地下アイドルなど「サブカル」と呼ばれている分野は、最初からエンタテインメント・ビジネスのミニ版を狙っている点が根本的に違う。このビジネスモデルは、アイドル冬の時代と言われた1990年代に、マスメディアに依存せずアイドルを成り立たせようと試みた「東京パフォーマンスドール」に始まる。

そういう意味では、「サブカルのスター」が成り立ってしまった時点で、それはサブカルではなく、マイナーなエンタメなのだ。これは、表現者が集まった一つのクラスタとしての集団の中で、表現者同士が表現を競い合う場ではなく、明らかにパフォーマーと観客という異なった特性を持ったクラスタが一つの集団としてぶつかり合う中から出来上がってきている点が根本的に異なる。

これはちょうど時代が1990年代とシンクロする、「ひらがなおたく」と「カタカナオタク」の鬩ぎ合いと、コミケの変化にも如実に表れている。かつて1970年代から80年代にかけて最初の十数年のコミケは、あくまでもクリエイターの「発表の場」であった。それも、メジャーな路線とは違うマニアックで個性的な作品を作りたい漫画家が、クリエイター同士だからこそわかるという世界で互いの自主制作本を手に入れることで、密かに互いの世界を認め合う世界であった。

おたくという言葉自体が、世界は違うがそれぞれ自分の領域で頑張っていると、互いを認め合うために、「お宅もなかなかやりますね」と敬意を表しあった呼び方が元になっていることがそれを示している。それが、大量の消費者が薄い本を購入するためにやってくる大即売会に変質したのが1990年代のコミケなのである。ある意味、この時代はWindows95・98に象徴される情報化と、バブル崩壊に象徴される右肩上がり経済の終焉という日本社会の変曲点であり、この現象もその一環として捉えることができる。

これはこれで非可逆的な社会の変化の表れであり、いいとか悪いとか、好きとか嫌いとかいう問題ではない。誰もが大きな流れとして受け入れるべき現象であろう。しかし、ここで大事なのは昔と今とで、サブカルの意味、オタクの意味が変わってしまったという事実を理解することである。ファクトとしての歴史を混同し、その変化を理解できなくなってしまうことが危険なのだ。それがわからなくなってしまっては、なんで「オタク」と呼ばれるのかすら意味不明になってしまうのだから。

(19/04/19)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる