ブラック体質を生み出すもの






このところ縁あって大学の講師をやっている。講義の中では、会社員時代の経験を生かして学生を採用する側がどういう視点で選んでいるかという話もしている。そこで学生からすると一番インパクトがあるのは「平均値に入ったら落ちる」という事実である。10人採用するところに100人応募があれば、人並みと評価されることは即不採用を意味することはちょっと考えればわかると思うのだが、これが意外なほどわかっていない。

学校というのは「通す」ことを前提として運営されているから、平均点を取れば合格になるのである。選別され、落とされる方が多い状況下では、平均になることはサドンデスである。だから新入社員の面接をやるときには、まず「今年の面接マニュアルのお勧め」が何かを、最初の何人かで見抜くことがポイントになる。これがわかってくれば次から次へとやってくる「マニュアル通り」君は、即ゴミ箱行きにできる。

逆にほとんどマニュアル通りの受け答えをして「区別のつけようがない」応募者もサクサク採用してしまう企業は、定着率が悪く新人がすぐ辞めてしまう企業、すなわちブラックな労働環境なところだと思って間違いないだろう。片っ端から辞めて行くので採用が自転車操業になってしまえば、どんな人間でもいいからつばをつけていくしかない。そうなると、一人一人中身を吟味する余裕もないから、十把一からげで採用するのである。

さて昨今ブラック企業が問題になることが多い。ある意味ブラック企業から逃れるにはどうしたらいいか、ここにヒントが隠されいてる。そう、辞めてしまうのが何よりの解決策である。ブラック企業であることに気付いたら、社員のままでグチや文句を言うより、さっさとやめてしまえばいい。そうすれば最後には誰も社員がいなくなって会社が潰れてしまうので、ブラック企業を絶滅するためにもこれが一番強力かつ的確な対処法である。

ところがSNSを見ると、会社のブラックな体質に不満があるにもかかわらず、社員のままでいながら、上司や経営者に直接面と向かって文句を言うこともなく、誰に向かってともなくグチりまくっている人が大勢いるのがわかる。彼等はブラック企業が存続してしまうのは、自分達のような社員が辞めずに社に残っているからだということに気付いていないのだろうか。いや問題はそこではない。彼等こそがブラック企業を支えているのだ。

そもそも彼等は、肚をくくって責任を取ることができない「甘え・無責任」な人達なのだ。「ヤメるぞ」と一言、上司に向かって面と向かって言えばすべてが解決するのだが、それを言うには勇気がいるし肚をくくる必要もある。チキンなヤツなのでこれができないばっかりに、負け犬の遠吠えよろしく外に向かって愚痴るだけになってしまう。そう、ブラック企業とはこういう「甘え・無責任」な人達の巣窟なのだ。

すなわち、そもそもブラック企業なるモノの体質こそ、「甘え・無責任」な人達が時間をかけて作り上げたものなのだ。自分で頭を使わなくとも言われた通りやっていれば居場所があるし、長時間働いていれば努力したとばかりに結果が出なくても評価される。それらは、会社という組織に対する「甘え」そのものである。自己責任で行動できないからこそ、組織に依存し、組織の中に紛れてしか生きて行けない。

ブラックな体質というのは、この組織への依存体質の裏返しそのものである。依存体質のある人達にとっては、こういう組織は実に居心地がいいのだ。トップから末端まで、全て組織に依存する体質。誰かが命令するのではなく、人格のない「組織」が命令する。誰かが責任を取る必要はなく、人格のない「組織」が責任を押し付けられる。ミッションも責任も宙に浮いているのだから、常に汗さえかいていれば、成果はなくとも評価される。

こういう体質の組織としては、非レギュラーの体育会系がその典型であろう。体育会でもレギュラーの正選手は熾烈な競争社会である。すごい実績をたたき出す新人が出てきたら、ポジションはすぐに奪われてしまう。自分の得ているポジションをキープするためには、そのポジションを獲得する以上の努力を常に惜しまずつぎ込んでゆくことが求められる。まさに弱肉強食の成果主義である。

その一方で、数だけはやたらと多いレギュラーになれなかった部員達は、もともとビジョンも戦略もなく、さらには何の実績もないまま先輩の真似をしていただけでも、世代交代で「先輩」になる。そしてそれなりに威張って、後輩をパシリに使うが、後輩も年次が上がれば先輩になり、さらなる後輩をパシリとして使えるようになる。

タイトルかかった実戦に参加することもないまま、これを永遠に繰り返すのが大多数の部員の生活なのだ。これはこれで才能も実力もないものにとっては、けっこう居心地がよく、組織に甘えられる生活である。一度その味を知ってしまうと、依存症になってしまう。そして、そのシステムが最高に昇華したものが、日本的経営の「終身雇用・年功序列」であるといえるだろう。

組織への依存症を持つ「甘え・無責任」な人間にとっては、こんな魅力的な組織はない。組織の中で上からの命令に従うことでしか生きられない人でも、きちんとそれをやっていれば生きがいを得られ、それなりの生活もできるシステム。確かに、これは「日本的」である。そして、組織依存症の人達が集まった組織の特徴が「ブラック体質」なのである。これは日本の組織の宿命とも言えるだろう。

まあ、経済のグローバル化が進んできたので、こういう「甘え・無責任」体質の企業は、市場の荒波にもまれ付いて行けなくなってきている。そういう意味では、時間がたてば淘汰されるのかもしれない。地方の駅前のシャッター商店街は、量販店との競争で負けたのではなく、経営していた人達に「やる気がない」から負けたのである。日本の「甘え・無責任」でやる気のない大企業の行く末も、これと同じなのだ。

(19/06/21)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる