第25回参議院議員選挙の結果を読む






7月21日に行われた第25回参議院議員選挙の結果が出た。マクロ的にはどう転んでも大きい枠組みに関する変化は期待できず、どちらかというと低調な選挙戦であったが、ミクロ的にはいろいろ面白い現象も見られた。前の会社ではぼくの配下のチームが、某政党担当チームの生活者分析を担ったこともあるので、多少は土地勘もある。今後のトレンドを占う上でも興味深いので、この結果について生活者インサイトの視点から分析してみよう。

今回の選挙は、なんといっても低投票率が特徴である。西日本では台風の影響から大雨だった影響もあるだろうが、若者層の投票率の低下がこの低投票率の主たる原因である。さて、この低投票率で得をした政党はどこだろうか。それはなんといっても、組織票とシニア層の支持が強い党、すなわち立憲民主党である。なんと議席数が8名増と大躍進であった。逆に野党でもそのような支持基盤が薄い国民民主党は議席を減らした。地方区の野党統一候補がけっこう善戦したのも、同じ理由に基づいている。

10代・20代は圧倒的に与党の支持者が多く立憲民主党の支持者などほとんどいないので、若者が投票に足を運んでいれば、こんなに野党が伸びることはなかった。この影響をもろに受けたのが広島選挙区であろう。派閥争いもからんで自民党から2名の候補者が立候補したが、30%を割り込む超低投票率により自民票が伸びず、新人候補のみ当選し、現職が落選という結果になった。これも若者が多く投票に足を運べば、自民党の2議席独占も不可能ではなかっただろう。

この点、野党の中でも組織票だけに頼っている共産党がイマイチ伸び悩んだのと好対照である。共産党の支持者は圧倒的にシニア層が中心ではあるものの、シニア層全体としてみると、必ずしも「野党」として支持されてはいない。シニア層の「野党」支持者には、「アンチ共産党」の人の方が多いのだ。それらの層では、若い頃に見た昭和30年代・40年代のゴリゴリの共産主義政党だった日本共産党のイメージが強く刷り込まれているためだ。それでも、落ち込みが限られていたのは、低投票率の恩恵といえるだろう。

しかし、もともと組織票だけに頼っていた社民党は、その基盤であった労働組合を民主党-立憲民主党の流れに取られてしまい、土台を流されてしまった感がある。それでも全国区で一名当選できたのは、共産党の逆でシニア層に昔の社会党のイメージが残っていたおかげだろう。今回の選挙でその実力は「諸派」でしかないというのがまざまざとわかった。得票数でキワモノ政党にも負けているのだから、もはや過去の栄光だけでメジャーな政党としての扱いはすべきではないだろう。

日本維新の会の着実な伸長は、保守改革派の受け皿となることができたためである。ベンチャー経営者や金融関係のトレーダーなどを中心に、都市部においては「小さな政府・規制緩和・市場原理」を信奉する新古典派が一定数いる。大都市圏では有権者の1割以上存在するこの層は「保守で小さい政府」を目指す改革派保守政党の支持者となる。そういう政党があれば、この層は必ずそこに票を入れる。全国区の伸びはもちろん、東京でのおときた駿氏の当選は、その象徴的な出来事とい言える。

「NHKから国民を守る党」と「れいわ新撰組」は、ある意味「お祭り選挙」のトレンドをウマくつかんだということができる。今世紀に入ると小泉首相の劇場型選挙以来、刹那的な面白さをアピールし、こいつは面白いぞと思わせると、自分も一票を投ずることでお祭りに参加した気になれるということで、そこそこ票が取れる構造ができ上がっている。それは、この数回の参議院全国区や衆議院比例代表区の結果が示しているところである。

「NHKから国民を守る党」のNHKでの政見放送は、NHKとしては政見放送は法律上そのまま放送しなくてはいけないことを逆手に取り、NHKの電波を使ってNHK批判を行うという、最高のパフォーマンスをやってのけた。見ていて、こんなメタな芸はないと思うくらい面白かった。NHK史上に残る椿事であろう。これならウケるし、自分もパフォーマンスに参加しようという気持ちで一票を投じる人もそこそこいるだろう。

ただ「れいわ新撰組」の山本太郎氏は、ポピュリズムの極みというか、ファシズムの匂いさえ感じるアジテーションであるところには、ある種の危険性を感じる。もちろん、私は「言論の自由・価値観の多様性」を何よりも重視しているので、そう言う意見もどんどん主張して、輿論という「マーケット」の審判を仰いでみるべきだと思っている。社民党を凌ぐ2議席を獲得したが、その結果は尊重すべきである。

ただ、ヴィーガンやある種の嫌煙家と同様、自分が弱者で正義であるが余り、自分と対立する意見は全て邪悪であるとして、暴力で排斥するテロリスト的な発想があるのはとても気になる。バラ撒けーとか、自分達は弱者なのだから保護されてしかるべきだとか、自助努力を否定して一方的な庇護を求める発想。彼等は、自分と異なる意見を持つ人間の存在を、力ずくで否定したがっている発想が見え隠れする。

これは、民主主義を根幹から否定する、言論のテロリズムである。彼等が価値観の多様性を認めるなら、当然その意見は尊重されるべきである。また議論し、互いの意見に理解を深める余地もある。しかし、彼等が違う意見を排斥するスタンスを取る以上、それは戦争や紛争を挑発していることに他ならない。そして、理性的な議論を否定している点も極めて気になる。それ以上に支持者の人達が、そのパフォーマンスの中で思考を停止して状況にトリップし、極めて排他的になっているところが問題かもしれない。この点については、注意深く見守る必要があろう。

山本太郎氏と名前が似ているがと中身は天と地ほど違い、正反対のフェアでユニークな選挙戦で当選した自民党全国区の山田太郎氏の善戦も特筆すべきだろう。「オタクの代表」として知られる山田氏だけに、マス媒体等のオールドメディアに頼らずSNSを駆使して支持者を固め、50万票以上を集め当選した闘いぶりは今後の選挙のあり方の方向性を示したものということもできる。山田氏は政治に対する姿勢も極めて真摯で積極的であり、今後の活躍を期待したい。

このように比較的低調な結果に終わったものの、ポイントを絞ればいくつか見るべき点は発見できる。野党の中にも状況を見るに敏な政治家はかなりいる(というより、自分の主義主張より議席欲しさに世間の風を読み過ぎる人が目に付く)ので、この風向きを的確に読んでこれからの身の処し方を考える人が出てくると思う。後から考えてそのような動きの起点となったという意味で、今回の選挙は意味があったのではないだろうか。

(19/07/26)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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