アーティストの心得






絵画でも映像でも音楽でも、それぞれの分野でプロとして活躍して実績を残している人の中にさえ、どうやら制作活動のモチベーションという視点で見てゆくと二種類の人がいることがわかる。それは作品を通して外部に承認欲求を求めたがる人と、そうではなく一義的には自分のために作品を創る人である。これは「どちらがどうだ」という比較をしようというのではない。この二つはもともと別の種類の活動なのだから、そもそも並べたり比べたりすることに意味はない。

基本的に創作活動においては、他人に認めてもらう必要などどこにもない。自分が満足し、納得するものを作ればいい。人が何と言おうと、自分がその創作活動や作品に納得し、自分らしくできたと思えれば、それが作品である。それ以上の社会や他人からの「お墨付き」などいらない。社会における自分の居場所を作ることと、作品を創ることは全く別問題である。自分の居場所は、創作とは別に自分で作ればいい。

基本的に生活に困らない人なら創作に没頭できるだろうし、そうでなければ最低限自分らしい創作活動ができるように生活を組み立てればいい。アーティストとしての生き方とは、本来そう言うものである。しかし芸能や商業美術など20世紀に勃興した大衆芸術の世界では、リプロダクションによりマス化した作品のマーケットが巨大化し、ここを切り離せずに、作品を生活の糧であり社会における自分の居場所とする人達が現われてくる。

すると「ウケたい、ヒットしたい」という欲望が出てくる。マネタイズを気にしだすと、他人の目が気になる。まあ、ある種ビジネスであり、マーケティングなのだから、ターゲット・ファーストになるのは仕方がない。しかし、そこから生まれてきたものはコンテンツではあっても、アートとしての作品ではない。これもまた同じ軸の中でどちらが正しいのか競うものではなく、「違うもの」として並存することが大事なのである。

お客さんの側からするとこの違いは分からないかもしれないし、それでも問題ない。だが、作る側はこの違いがわかっていないと問題がある。作品とは、本来自分のために作るものである。その一方で、あるレベルのテクニックがあれば、他人の価値観に合わせてお客さんが喜ぶモノを作ることはできるが、それはあくまでも商品であり、お客さんのために作るものである。作る側のマインドやモチベーションは、大きく異なっている。

「クリエイター」なる人種を長くやっていると、この差がよくわかる。というか、わかっていなくては、クライアントの要望や目的に合わせてぴったりフィットした映像や音楽を作ることはできない。それがウマくできるためには職人的なテクニックだけではダメで、自分のために自分らしい作品を創作することができる人が、クライアントの立場になって作ってはじめて可能になるのだ。

自分の中にモチベーションがあって、自立的に自分を表現する作品が作れる人がいる。その中に、自分のためだけにしか作品を創らないアーティストと、他人のニーズに合わせた作品も作ることができるクリエイターがいる。この両者は、人格の違いというよりはモードの違いであろう。もちろん「アーティストとしての活動しかやらない」という人はいるが、それは能力というよりは生き方の問題である。

その一方で極めて高度な職人的能力を持っているワリに、自分の中から湧き出てくるものがほとんどない人がいる。というより、近代以降の日本の芸術教育、音楽教育では、こういうタイプの「芸術家」ばかりを育ててきた。こういう人が、過度に社会の反応ばかりを気にし、世の中にウケることを優先するようになる。こういうところからウケのいい「パクり」が横行するのだ。

突き詰めてゆくと、これは自分にとっての「真実」がどこにあるのか、自分にとっての「リアル」とな何なのかに行きつく。表現者・アーティストとは、人間社会や自然界で起こっている森羅万象より、自分の心の中を重視する人である。自分にとっての真実も、自分にとってのリアルも、客観化された現象ではなく、自分の心の中のイメージなのである。自分の中に自分にとって一番大事な「セカイ」がある。だから、俗世間や他人のことはきにならないのだ。

その一方で、自分の中はもともと空っぽなため、世の中でのマジョリティーやトレンドといったものを基準として価値判断をしなくてはならない人達がいる。もともとこういうタイプの人の方が世の中には多い。このため絵の職人や楽器の職人(歌の職人も)としては、こっちの人の方が多いの現実だ。そういう人ほど、自分が第一線にいないと自分のアイデンティティーがなくなる。おいおい、過剰に外部からの承認欲求をもとめることになる。

すでにこのコーナーで何度も言っていることだが、AIは後者のタイプの人間をエミュレートしている。絵画でも音楽でも、グレーゾーンぎりぎりでパクらせて、より多くの人が気に入る「作品」を作るなどというのは、ディープラーニングの最も得意とするところである。その一方で自分のために作品を創るというのは、まさに人間だけに許されるワザである。そういう意味では、クリエイター(但しアート領域の)の視点は、AI時代の機械と人間の棲み分けを考える上ではもっとも有効なモノの一つであろう。


(19/09/20)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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