秀才の苦悩






秀才とは、カーレースでいうスリップストリーム走法のようなものである。先行するレーサーの後部にピタッと寄り付き、先行車が巻き上げる気流の渦の内側に入ることで、労せずしてキャッチアップし続けて燃料消費も少ないまま二番手の座をキープ出来る。先行車は空気抵抗が大きくなる分燃費が悪くなり、燃料を過剰に消費するというハンディーキャップを負わせることもできる。レーシングカーの空気抵抗が大きい時代には、よく使われた戦術である。

しかしスリップストリーム走法だけではトップを抜くことはできず、チェッカーフラッグを受けることはない。「追いつき、追い越せ」とはよく言われるが、ターゲットに追い付くことと、それを追い越すことは全く違う。追い付くのは比較的たやすいけれど、追い越すことは極めて難しい。もちろん、トップを走る選手がトラブルでリタイヤし、タナボタで優勝が転がり込んでくることはある。しかし、それでしか優勝ができないのだ。

秀才という生き方も、このスリップストリーム走法によく似ている。自分が創り出したり発見したりするのではなく、誰か先人が創り出したり発見したりしたモノやコトを、勉強することにより自家籠中のものとし、それを実務で使いこなす。追い付くべきターゲットがあれば、それにピッタリ追随することができる。超秀才なら、天才的な人間をベンチマークし、そこに肉薄することも可能であろう。

しかし秀才が活躍できるのはそこまでだ。スリップストリーム走法の限界と同じように、秀才はトップをピタリとマークする二番手までは上がることができるが、そこから追い越してトップの座を奪うことはできない。天才のように新たな発明・発見を行ったり、創作活動を行ったりできないのが秀才なのだ。もっとも元々天才的な才能のある人間が、ブースターロケットよろしく秀才的に学習することで早く大成し、トップになるということはありうるが。

ある意味明治以降の近代日本は、秀才の国だった。それは文明開化で西欧の先進国にキャッチアップしないと、当時の帝国主義の世の中では列強の植民地か属国にされてしまう状況だったからだ。生き残るためにはなんとか追い付いて、侵略される側ではなく侵略する側の端くれにならなくてはならない。まさに生き残りのための、経済力の自転車操業である。そのためには列強の成功例をベンチマークし、それをトレースするのが最も効果的だ。

これをやるためには、とにかく先進国の先端的な知識や情報を集め身に付けることがカギになる。産業革命こそ起こったものの、情報処理は未だ人海戦術に頼っていた19世紀の世の中においては、秀才を大量に用意し最先端の科学や技術や勉強させることで「追い付く」ことが最も効率的であった。これを国家として効率的に行うために、秀才偏重主義の教育制度や社会制度が取り入れられ、秀才がエリートとしてもてはやされる原因となった。

結果論から言えば、その戦略はそれなりに効果があったということができるだろう。少なくとも日本は列強の植民地や属国にならずに済んだし、列強と並んでアジア諸国を勢力圏に置く位には経済力も国力も成長できた。もっともその結果列強からボコボコに叩かれるのだが、それでも今まで生き残れるぐらいの国になったことは間違いない。日本がまだ「のびしろ」が大きい発展途上国だった高度成長期頃までは、このベンチマーク戦略は有効だったということができる。

しかし80年代に入り、自他ともに認める世界のNo2になってしまうと、今度はベンチマークではなくオリジナリティーを発揮してNo1になることを求められるようになる。ところがこの時点まで、教育制度に代表される人材能力開発は秀才型一本でやってきた。もちろん日本にも天才はいるし、そういう人達がオリジナリティーを発揮して世界的に活躍する事例も増えてきた。とはいうものの、日本の天才はそういう「自助努力」で育ってきた人材ばかりであり、全く制度的な支援の外側から生まれてきている。

超天才はどうやっても育つのだが、ほどほどの天才は秀才の中に紛れてしまうことも多い。日本の「甘え・無責任」な官僚型大組織の中にいて楽をしていれば、そこそこ才能を持っている人でも安易な方に流れてしまうことは容易に想像できる。一度腐ってしまった人材はもう仕方ないにしても、今から若い人間を秀才型に育てても全く無意味である。秀才はもう日本には必要ない人材だということだけでも、共通の認識として持つべきだろう。そういう意味では、やはり「小さい政府」にして官庁を解体するのがなにより手っ取り早くインパクトも大きいと思うのだが。


(19/09/27)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる