サラリーマンのコスプレ





最近は三菱地所が必死に開発したおかげで、丸ビルのところから有楽町まで、丸の内もメインストリートはすっかりオシャレなショッピングストリートになった。かつては平日はさておき土日となるとすっかり人通りがなくゴーストタウンのようになっていたが、今での休日も人並が絶えず、インバウンドの観光客もあふれて賑やかな限りである。これはこれで再開発としては成功と言えるだろう。

とはいえ一歩先の道に入れば、ビルこそ建て替わって小綺麗な高層建築になったものの、その主は相変わらず吊の背広にネクタイのサラリーマンスタイル。最近はビジネスマンと呼ぶことが多いが、やはりこのスタイルはサラリーマンと呼ぶのがふさわしい。今やコミケに行くとこの手の「サラリーマンのコスプレ」が登場しているが、まさにこの街の主たちは、コスプレよろしく制服を着て成り切ろうとしている人達だ。

ソフト化したビジネスをやっている人達は、オフィスでもカジュアルな格好をしているのが日常になったし、特にクールビズの期間は「Tシャツ短パンビーサン以外ならOK」みたいな感じで、この10年でかなりビジネスマンのファッションも個性化・多様化している。その一方で、昔ながらのサラリーマンのコスプレをしてる人達がけっこういる。イヤ逆だ。コスプレされる、オリジナルキャラクターの人達が、未だに生息しているのだ。

ある意味、ここから日本のホワイトカラーの生産性の低さ、ひいては国際競争力の弱さを読み取ることができる。没個性のサラリーマンスタイルこそ、組織の中で責任の所在を曖昧にし、何か問題が起きても表面的に謝れば誰一人責任を取ることなく済んでしまうという、日本型組織特有の無責任体制を象徴しているからだ。官僚組織型の、個人ではなく肩書きが仕事をしている組織の象徴こそ、画一的なサラリーマンスタイルである。

このような仕組みが出来上がった要因は、高度成長期のBtoBビジネスの仕組みに求めることができる。この時期は日本の経済規模自体が急速に拡大した上、技術レベルも未熟で常に物不足の売り手市場だったため、現在のように「売るための努力」をしなくてもあるレベルの業績は簡単に上げることができた。外回りの営業はすぐノルマが達成できてしまうので、朝から仕事をすると昼には終わってしまい、午後は当時でいうクーラーの効いた喫茶店や映画館で油を売っていた。

とはいえ、やはり仕事をしている「フリ」としないと充実感が得られない。ここで始まったのが、手数を増やして頑張っている感を出すという「働き甲斐」である。言ってみればサッカーの試合をやっていても、きちんと相手チームと対峙してディフェンスやシュートを決めるのではなく、よく時間切れを狙ってやるように仲間内でのパス回しを繰り返すようなものだ。やっている本人は忙しく仕事をしている気がするが、生み出している付加価値は極めて小さい。

消費税の税率アップが問題になっているが、BtoB、それも仕入て販売する流通的なモノをやっている限りにおいては、消費税はそのほとんどを売り先に転嫁できる。ババ抜きのババに似て、自分の手元にある間は鬱陶しいが、相手に渡してしまえば後は知らない。さらにBtoBはいろいろ相手に荷を押し付ける方法があふれている。まさに手数を増やすだけで他に何も意味のない作業はいくらでも作り出せる。

その一方で最終消費者である生活者をターゲットとしているBtoCの事業者は全く違う状況に置かれている。最終的な付加価値はこのBtoCのところで生まれるため、常にマーケティングを意識し売るための努力を続けてはじめて売り上げが立つ。だからこそ流通のところはプレイヤーの新陳代謝が激しく、そういう営業努力を怠った旧来のパパママストアはシャッター商店街になってしまったのだ。

バブル崩壊以降、日本経済の構造が大きく変わってしまったにもかかわらず、十年一日のごとくパス回しを繰り返す大企業。サラリーマンのコスプレこそ、そういう非効率的なセクターの代表だ。状況の変化に気付かず、いつの間にか取り残されてしまった愚か者達。こういう連中が「自分が経済を支えている」と勘違いしているから、日本経済は成長しないのだ。今や経済の癌細胞となった彼らは、「裸の王様」ならぬ、「背広のアホ」と呼ぶのがふさわしいだろう。


(19/10/11)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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