忖度の国、ニッポン





モリカケ問題で、野党がヤケのヤンパチでガン付け戦術に走り出してから、「忖度」という言葉はすっかり流行語となった。しかし、日本で組織人をやった人間なら「忖度」したことがない人間はいないであろう。大きな組織になればなるほど、明確な意思決定があるのではなく、「忖度」とその裏返しである「虎の威を借りる威張り狸」とだけで意思決定が進んでゆくことは多かれ少なかれ経験しているだろう。

皮肉な言い方をすれば、「忖度」こそ日本の組織の原動力なのだ。日本でもファウンダーのプレゼンスが明確な企業もそこそこある。自動車でのトヨタ・ホンダ、家電でのソニー・パナソニックなどである。これらの企業は没落する日本の製造業、その中でもかつての栄華から低迷が目立つ自動車や家電という業界で、曲がりなりにもグローバルなブランドイメージをキープし、かろうじて企業価値を保っている。

海外ベースのグローバル企業では、社員の中のリーダー層がファウンダーのイズムを会得し、あたかもファウンダーになり替わるかのようにふるまうことで、ブランド価値を保っている。しかし日本的企業においては、ファウンダーのイズムを徹底する手段こそ、今はなきファウンダーやその一族への「忖度」なのである。「忖度」があるからこそ、企業理念や経営ビジョンが受け継がれている。

これは、江戸時代の商家以来の伝統であろう。「現銀掛け値なし」で知られる、今の二木会・三井グループの原点である「越後屋・三井呉服店」の家訓が受け継がれてきたのも、創業者である三井高利と三井家への忖度があればこそである。このように近世からの疑似家族的な結合力がある組織においては、「忖度」は強力な求心力とした働き、組織を継続され、活性化するためのエネルギー源となってきたことは否定できない。

しかし明治の文明開化とともに西欧式の制度が移入され、さらには20世紀に入ると当時先進国の中では世界的に広まっていた「大衆社会化」の波は日本へと押し寄せた。これと共に日本の組織も、マックス・ウェーバーの「ゲマインシャフト」的なものとなってくる。これと共に、秀才エリートが組織マネージャとして重用されるようになる。こうなると、日本では単に学校の成績がいいだけでリーダーシップに値しない人材がトップに立つことが多くなった。

それまでの有責任階級と無責任階級で、キャリアとノンキャリアを棲み分け、責任の取り方を変えていた階級社会の時代とは異なり、彼らのような秀才エリートは、人徳や責任感の大きさで人を惹きつけ、組織をまとめていくことができない。こういう人達が組織の論理で「上に立つ」一方で、組織の構造論理自体は、なまじ江戸時代からビジネスや行政で大組織が動いていたため、江戸自体に構築されたものをそのまま引き継ぐことになった。

端的に言えば、AT免許を持っていない人がMT車の運転を任せられたようなものだ。成り上がりの秀才エリートには、家族的にまとまった組織を合理的に運営するような人徳もノウハウもないのである。もちろん昭和に改元する頃までは、まだまだ秀才エリートにも旧来の有責任階級である士族出身者が多かったが、昭和に入ると逆にそうでない成り上がりの秀才の方が多くなってきた。

それでも組織は組織としてゴーイング・コンサーンが求められる。ではなにを準拠として組織としてまとまり動くのか。ここで現われたのが、リーダーを敬愛するが故の忖度ではなく、リーダーのバリューを利用しようとするための「悪意の忖度」である。秀才エリートが得意とする、リーダーに対し忖度を働かせる一方で、その分我田引水で自分のやりたいことを組織の名でやってしまおうという、面従腹背構造である。

秀才エリートほどこの傾向が強い。自分がやってきたことだから、その上に乗っかって御神輿を担がれれば地位は安泰である。その一方で、忖度で高めた権威をバックに、中間管理職はトップの命令でもない自分の我田引水政策を、あたかも「天の意志」のような顔をして実行できる。この典型的なモノが、天皇の権威は借りまくるが、天皇の名の元の命令には従わない「関東軍」である。

つまり、秀才エリートに権限を与える限り、こういう「我田引水のための忖度」はなくならないのである。そういう意味では、霞が関の官僚とは忖度する生き物である。忖度に問題があるのではなく、秀才エリートに権限を与えることが間違っているのだ。いつも言っているように、秀才エリートはもっともAIで代替される人たちである。そういう意味ではこの問題も時間が解決するのであろう。野党の方が秀才エリートが支配している分、組織内忖度は多いと思うぞ。よく胸に手を当てて考えて見ろ。


(19/11/01)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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