化けの皮





SNSが普及して起こった変化はいろいろあるが、それまでの権威や地位が絵に描いた餅だったとぢて化けの皮が剥がれてしまう人が続出したというのが、最も大きい影響だろうか。UGMとも呼ばれるように、コンテンツの書き手の生の人間性が顕わになってしまうので、よほどきちんとした人間性を持っている人か、あるレベル以上の文章構成力を持っている人でないと、とんだ恥をかくことになる。

化けの皮が剥げた人たちとしては、既存マスコミのジャーナリスト、アカデミックな世界の学者、野党革新系の政治家というのがベスト3であろう。もちろんこういう属性を持った人の中にもマトモで人間性の高い人はいるのだが、社会的な権威や肩書に頼って偉そうにふるまっていても、実は中身が空っぽという人が紛れ込んでいる確率も非常に高い。逆に言えば、「絵に描いた餅」の権威を作りやすい業種と言える。

既存マスコミでジャーナリストを気取る人には、ジャーナリスティックな視点や問題意識を持つことなく、反対・批判し良識ぶることで権威を装う人が非常に多い。こういう人は世の中の風が吹き込まないメディアの向こうから大言壮語する分には、いかにもすごそうに見えるのだが、実際に問題意識を持っているわけではないので、サシの議論になるとめっぽう弱い。当たり前の紋切り型の「正論」を振りかざすだけである。

個人で発信しようとすると、相手は個人対個人で対等ということになり、肩書きは通用しない。現実を客観的に見て把握し素直にそれを語る相手の方が、第三者の目から見れば余程共感を呼ぶ。こういう人ほど、立場が弱くなるとすぐ社名や肩書を出してきて、その権威で威張り散らして相手を威圧しようとしだす。しかし、もともとそんなものに権威を感じていない相手には全く通用しない。かくして、アホな小人物だという評価だけが広がることになる。

アカデミックな世界の問題は、日本の学術界においては本人の見識や業績といった部分より、家元制度のごとく師弟関係のヒエラルヒーに従うことだけで名を成し偉くなり出世してしまうひとが少なからずいるところに原因がある。「象牙の塔」の中ではこういう権威が通用しても、その外側ではもとより通用していない。単に○○大学の教授というだけである。ところがこういう連中には、自分が発言すればみんなが納得し従うものと思っている人が多いのだ。

もともと自分の問題意識や分析力が高いわけではなく、すでにエスタブリッシュされた権威に従うことでその地位を保っている人だ。これもまた議論になるとめっぽう弱い。すでに認められている「定説」を繰り返すだけで、なんら問題解決に繋がる答えを出すことができない。これでは学界ではステイタスがあるかもしれないが、社会的に全く役に立たない人間であることが誰にもお見通しである。それまでの威厳はまったく地に落ちてしまうわけだ。

しかし下手なSNS利用で一番権威を失ったのは、左派・リベラルの野党系政治家・活動家ではなかろうか。もともとこういう人達は理解力が低いというか、世の中の複雑な構造をきちんと理解できていない。だからこそ、論理的に破たんしている左派・リベラルの主張に惹かれてしまうのだろうが、それでもかつては野党に投票する有権者もいるということから、それなりに社会的存在感と発言権が与えられてきた。

もちろん、自分達の支持者に向かっては破たんした論理の議論を滔々と述べていたのだろうが、それはワザワザ支持者向けの集会とかに行かなくては耳に入らないものなので、一般の生活者にとっては触れる機会がない。だからこそ、どんなアホであろうと世間的にそれがバレることはなかったのだ。荒唐無稽で実現不可能なことばかり言う人だとは思っても、まあ思想信条の自由だし勝手にやってくれと距離を取れた。

しかし、こういう人達はリテラシーが低いから、SNSとかでも支持者向けのロジックで情報発信してしまうのだ。こうなると、何を言っているのかが世の中の誰からも見えてしまうようになる。支持者だけなら権威を持って支持されたモノが、広く世間一般にその発言内容が見えてしまうため、裸の王様であることが顕わになってしまったのだ。それだけなら自分のアホさをみられてしまったというだけなので、権威は失うものの三の線っぽいが世の中に居場所は残る。

問題は、こういう政治家や活動家が、弱者の味方ぶってきたものの実は価値観の多様性を認めない権威主義的な全体主義者であることまで、顕わになってしまったことだ。左派・リベラルのダブルスタンダードは、今やネット界では常識となっている。日本の平均的な価値観が認めている多様性のお蔭で自分達が自由にものを言えていることを忘れて、自分達の「正義」だけが正しく、これと異なる意見を一切認めず排除・攻撃する。

全体主義が好きで、多様性を認めたがらない人が一定数いることは確かだ。しかしそれが排除されないのも、思想信条の多様性が担保されているからだ。新左翼が内ゲバによって崩壊するように、多様性を認めない全体主義者はある組織規模が拡大すると、自家中毒よろしく自身の論理の帰結で自己崩壊してしまう。だからこそあくまでも少数にとどまるのだ。これがこの数年の野党の状況である。

このようにSNSであぶりだされた「アホ」達は、いわば20世紀的な組織が生み出した癌のようなものである。それが社会の情報化と共にあぶりだされ、社会から見捨てられるのも当然の流れである。人間は環境対応力が強く、それだからこそ文明を発展させることができた。情報化の波にもこうやって対応し、ついていけない人間は自然に篩にかけられる。そういう意味では、社会の情報化により人間が進化したということができるだろう。


(19/11/08)

(c)2019 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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