21世紀の掟 その2





年の初めにあたり、ここ数年でその姿が明確になってきた21世紀の人間社会を規定するスキームについて論じている。前回は、世の中の意識や行動を決める軸が20世紀産業社会的なイデオロギーベースから変化し、「甘え・無責任を求めて画一性にすがるか、自立・自己責任で多様性を担保するか」という軸に移ることついて分析した。この変化に気付いていない人が多いから、昨今の世の中の動きを正しく捉えられないのだ。

今回は、それと並ぶ二大パラダイムシフトのもう一方の柱といえる、「秀才重視の知識主義」の終焉についてみてゆきたい。産業革命以降、大規模な工場制生産が行われることで、工業生産力は飛躍的に増大した。当然それとともに業務や管理のために処理すべき情報の量もそれ以上に増大するわけである。この情報処理については、当時の技術水準では人海戦術で対応する以外に手がなかった。おいおいテクノクラートというか、知識が多く情報処理能力の高い人材への需要は高まることになる。

この時代においては、情報処理がまさに生産におけるボトルネックとなっていた。このため、次々と発生してくる課題をいかに早く・手際良くこなしてゆくかということが何よりも求められた。このニーズにスマートに対応するためには、起こり得るであろう事象に関する過去の経験値を多く知っていて、それに基づいて的確かつ迅速に対応できることが最適とされた。

このような状況の中から産業社会の段階では、教育により知識を多く会得し、それにより事態に対処するという人材の活用が王道となった。このためこのような作業に長けた「秀才」は引く手あまたとなり、あらゆる組織で重用されることになる。それとともにそれまでの家柄や出自に代わり、「秀才であること」がエリートの条件とさえされるようになった。これがピークとなったのが20世紀の前半である。

さらに産業革命自体が、世界各国で同時多発ではなく、タイムラグをもって伝播していくという性質を持っていた。このため後発の国ほど、「先進国をベンチマーク」してその成果を取り入れることで、より急速な経済成長を実現することが可能であった。この結果、英国のように早い時期に産業革命が起こった国では旧来の階級制度が残存する一方、日本などの後追い組では、一層知識を付けた秀才を重視し「追い付き・追い越せ」を目指すこととなる。

この構造は、社会構造が産業社会から情報社会に移ってゆくとともに変化をはじめる。1970年代には大型コンピュータによる事務処理が大企業では一般化し、管理業務や経理業務に関しては人海戦術を脱した。すでにこの時代から、リアルタイムで来るべき「情報社会」の姿やあり方についていろいろ議論されていたことは筆者も良く覚えている。とはいえ、実際に起こっていたことは事務作業を行っていた一般職の採用がなくなったことぐらいであった。

「もしかしてパラダイムシフトが起こるかもしれない」と人々が感じ出したのは、マイコン・パソコンの登場からである。70年代半ばになると、1974年にインテルから8080が、1976年にザイログからZ80が発売され、これらを利用したワンボードコンピュータがトレーニングキットとして発売された。決して安くはなかったが、個人でもコンピュータを手に入れ、プログラムを書いて動かせる時代になったのだ。

そして、1977年には躯体に入った完成品のホームコンピュータ(これが当時のアップルの言い方)としてApple社からApple][が発売される。ほどなく1979年には日本でもNECがPC-8001を発売する。当時の8ビットマシンは当然やれることに限界があったが、これにより人間とコンピュータの接し方は大きく変わる。コンピュータは組織が使うものではなく、個人が使うものとなったのだ。

すでにこの当時、直感的にパラダイムシフトが起こることを感じ取った人たちもいた。1980年代になると、コンピュータの機能さえ高まれば、情報を記憶し検索する情報処理は、個人レベルでコンピュータにとって代わり、知識や秀才は用済みになる世の中がやってくることは「情報化社会論」として認識されていたのだ。しかし、それはパソコンと密に接していた人たちの間でこそ理解できても、広く世間で認知されるものではなかった。

このため、実は時代おくれな存在になりつつも、世間の知識主義や秀才信仰が変わることはなかった。その一方で秀才的なコンピタンスの必要性は、確実に失われてきた。日本においては1980年代以降、傾斜生産方式など日本が貧しい時代には機能していた霞が関の官僚機構の存在意義が失われ、高級官僚達は自分達の許認可権益の温存と、おいしい天下り先の確保に汲々とするようになった。

そしてAIが実用化されるに至って、この構造が誰の目にも明らかなものとなった。秀才の得意なことは、AIはもっと得意である。そんなことは人間がやるべきことではない。コンピュータにやらせればいいのだ。秀才が大切にされたのも、産業社会という19世紀から20世紀にかけての状況特有の現象だったのだ。ただ1世紀半近くに渡ってそのような時代が続いていたため、それが人類史上特異な現象だということに気付けなくなっていただけである。

知識はコンピュータに任せておけばいい、人間はコンピュータに指示を出し、その結果を享受した上で人間でなくてはできないことに専念すればいい。秀才が評価されなくなる以上、勉強とか努力とかいう言葉は死語になってしまう。では一体何をすればいいのかというあなた。それはあなたがあまりに産業社会的な発想にどっぷり浸っているからだ。ひとまず焦ることはない。

これからの時代に人間がやるべきことをわかっている人はいるし、その人達がなにをやっているのかをみて、それから対応しても遅くはない。自分で気付けないのであれば、これまた誰かがやっているのをみて知るしかないではないか。もっとも、そういう人から学ぼうという態度自体が産業社会的なスキームの産物であることも確かなのだが。


(20/01/17)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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