男女賃金差





日本においては、男女間の不平等の事例として男女の賃金差が良く取り上げられる。しかし男女で基本給や時給を変えることはできない。そもそも、労働基準法第4条に規定された「男女同一賃金の原則」により、性別に基づき賃金を差別的に取扱うことは禁止されているからだ。リベラル派や市民活動家は法律に疎いのか、あたかも日本で差別的取り扱いが横行している証拠のように扱いたがるが、そんなに単純なものではない。

確かにマクロ的に見れば男女間で所得の差があることは確かである。これは賃金における差別ではなく、就労形態や就労業種に関する違いからもたらされるものである。女性のほうが3次産業的な業種への就労が多く、これらの業種においては賃金水準が低かったり、非正規雇用が多かったりするがゆえに、賃金差が生まれている。もし差別を言うのであれば、この構造を分析しその問題点を指摘しなくてはいけない。

20世紀に入り「大量生産・大量販売」のマスマーケティングが経営の基本となっても、製造業の工場のラインにおいては全ての工程を自動化することができず、チャップリンが映画「モダンタイムス」で揶揄したように、ラインこそ自動化されたが、作業自体は労働者がラインに張り付き労働集約的にこなすしかなかった。そしてその作業の多くは、体力・筋力がモノを言う「肉体労働」に頼っていた。

雇用の中心が工場のブルーカラーにあった産業革命以降のこの時代は、基本的に「モノ不足」の世の中であり、作れば売れた「プロダクト・アウト」の市場だった。このため、バリューチェーンの中では「肉体労働で生産」する人間が最も価値を生み出す存在とされ、並べれば努力せずとも売れる流通業などは、低付加価値の産業と位置づけられることになった。このような20世紀初期の労働市場の構造が、その後の産業社会においても継続した。

すなわち産業革命以来の産業社会の労働集約的な労働慣行に引っ張られ過ぎて、体力を重視する肉体労働が労働の中心として位置づけられ、それが付加価値の源泉と思われたため男性の肉体労働により多くの賃金を支払う反面、それを基準として低付加価値産業と思われていた3次産業中心とするサービス業の女性の賃金が低くなっていた。そして流通など3次産業のほうが、女性労働者の比率が高かったのだ。

男女の賃金差の問題は、ここに行きつく。社会の構造が産業社会から情報社会へと変化するとともに、市場の構造もプロダクト・アウトからマーケット・インへ変化した。生産はほぼその全てを機械が自動的に行うようになり、労働集約的な肉体労働は付加価値の源泉ではなくなった。その一方でマーケット・インになった市場では、「売るための普段の努力」が必要とされ、消費者に対峙する売りの現場こそ付加価値の源泉となった。

ブルーカラー的な肉体労働を付加価値の源泉とし労働の基準とする見方は、旧態依然とした産業社会的な価値観に基づいている。それに対し、社会も市場も変化した情報社会においては、情報社会に即したあたらしい価値観が求められている。すなわち、男女賃金差というのは、産業社会的な労働観に基づく労働評価が、情報社会において破綻してきていることの表れなのである。

平たく言えば情報社会となった現代においては、全く付加価値を生み出さない肉体労働しかせず、ロクでもない働きをしている男性労働者の賃金が高すぎるのだ。人と接する時のやり方で付加価値が変わる仕事以外は、機械でこなせるし、その方が安くつく。お金を出す人との接し方が、付加価値になるのだ。だったら、よりお金を出させる可能性のある3次産業の方が、より多い付加価値を生めるし、より多い賃金をもらっても然るべきである。

となるのであれば、正規・非正規以前に労働への対価を付加価値にあわせたものとすれば、問題は解決することになる。そのためには付加価値を生み出している業務においては、適正に生み出した成果を反映する待遇となることが前提である。多分、賃金の総額はほとんど変わらないだろう。ただし、配分が変わるのだ。これが達成できれば、男女の賃金差は間違いなくなくなるし、この構造的問題を解決しない限り、フェミニズムだけでは賃金差は解消しない。


(20/03/20)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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