ブーメランの定め




この数年、野党が何か文句を言えばブーメランが過去の自分達の所業に突き刺さるというのが日常的になっている。特に立憲民主党などは、「ブーメラン党」とでも改名したほうがいいくらい的中率が高い。この理由の一つとしては、野党が指摘している問題は、そもそもそのルーツである民主党が政権を担っていた時代に決めたことだったり、自分達もやっていたことだったりすることが多いということが挙げられるが、どちらかというとそれはメインではない。

その一方で、SNSとかで直接発信する政治家が増えたワリに政治家のリテラシーが低く、思いつきでアップロードした書き込みが多くなり、それが記録として残ってしまうので、しらばっくれることができなくなったという捉え方もある。どちらかというと小粒な政治家にはその傾向が強いことは確かであるが、党公式や党幹部の書き込みはそれなりのスタッフがかんでいる筈だし、そのような書き込みにもブーメランはあるので、勢いで失言したというだけではなさそうである。

ブーメランが起こるのには、もっと構造的な原因がある筈である。野党共通の行動様式に根ざしたものが原因となり、野党としての主張をすればするほど、それがめぐりめぐって自分に刺さってくる。全ての政治活動の発想やモチベーションにそもそもブーメランになる要素がビルトインされているのだ。少なくとも、民主党から自民党が政権を奪還して以降の野党には、この傾向が顕著だが、どうやらそれ以前から野党の体質の中に存在していたもののようだ。

それは一言で言えば「反対のための反対」をすることに起因している。「反対のための反対」とは、自分達としての責任ある政策を持たず、与党の政策に反対して足を引っ張ることで与党を困らせ、自分達の存在感を主張する手法である。このため与党は野党に譲歩せざるを得なくなり、結局は野党側の利益集団へのバラ撒きで手打ちしようとする。ごねた分バラ撒きの分け前が多くなることで、自分達の支援団体もご利益に預かれるし万々歳という寸法だ。

思い起こせばこの構造は「55年体制」の下ではぐくまれたものだ。当時の野党である日本社会党など労働組合を支持母体とする政党は、どうやっても政権には手が届かない。自分達に利益誘導するためには、なんとか与党を動かし、自分達にも分け前をバラ撒いてもらうしか手がないのだ。こうなると何にでも反対して「テコでも動かないぞ」ど恫喝し、与党を困らせてゴネ得を狙うしかない。

当時は高度成長期で経済は右肩上がり。毎年毎年、予算以上に税収が増えてゆく余裕の財政状態であった。そんなに金が余っていて、金で解決できる問題なら、言われたように金をバラ撒いて解決するのが一番楽ではないか。ここで、野党がゴネ、与党がバラ撒くというスタイルが出来上がった。さらにバラ撒きシステムを構築すれば、官僚も天下りポジションが増えるメリットもある。これが与党と野党が馴れ合うことで政治を安定させるという、55年体制の本質である。

反対さえしていればバラ撒いてもらえる。これを繰り返しているうちに、野党は政策という物を忘れ、政府与党の言うことに鸚鵡返しで反対するだけの存在となってしまった。冷戦時代こそ、造反有理のイデオロギー的屁理屈を付けて反対する「理由」を主張していたものの、ベルリンの壁が崩れ冷戦も崩壊するとそれも必要なくなり、文字通り言葉尻を捉まえて、揚げ足取りで反対するだけの存在になってしまった。

ブーメランの真の理由は、実はここにある。与党は無責任なことは言えないしできないので、実現できる見通しがない状態で「やります」とも「できます」とも胸を張ることはできない。この段階で野党が揚げ足取りの反対をするためには、「何でやらない」「何でできない」とやらないことを責めるのが一番楽である。そので一方で予算措置や事業主体等の目処が立つと、一転して与党は「やる」と言い切るようになる。

これは「責任政党」としては全く当然の対応である。できるかどうかわからないことを「やる」とはいえないし、目処が立ったものは「やる」と言い切らなくてはならない。で、「やる」ことになったあと、野党はどこで揚げ足をとるのか。それは当然「何でやるんだ」と責めることになる。与党のやっていることをなんでも反対さえすればいいのだから、こうなるのだ。

与党は責任があるからうかつなことはいえない。その分、社会や経済の状況変化にシンクロする形で、約束する内容も変化する。これは発言や行動に対する責任ということを考えればいたって当たり前である。その一方で野党は政策もビジョンもなく、無責任に言葉尻をつついて反対することしかしない。これだからこそ、状況に応じて言っている内容が変化してしまう。白といえば黒、上といえば下、与党が責任を持って新しい状況に対応しで決断した変化も、無定見の野党にとっては前提の理由が切り離されてしまう。

ダブルスタンダードが起こるのも同じである。そもそも自分達の考えがなく、売り言葉に買い言葉で反応しているだけだから、時と場合によって言っている内容が矛盾して当然だ。これでは自分への利益誘導の期待以外で、野党に投票する人などいるわけがないではないか。野党が労働組合など自分達の支持母体である圧力団体からしか支持を得られない理由も、結局はここにある。バカは死んでも直らないというが、こんな55年体制の亡霊は国会の無駄以外の何者でもないだろう。



(20/04/10)

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