勝負こそリーダーの証





結局、日本の歴史は甘えの歴史であった。雌雄を決することなく、長いものに巻かれて生きる方がいいと思うヤツばかりでダラダラと2000年以上やってきたし、それで済んでしまった。ある意味、それは照葉樹林帯では常識かもしれない。照葉樹林帯では、高温多雨で陽射しも強く、自然の植物も動物も豊富にある。基本的に「喰うに困らない」世界である。そうであるならば、無駄な努力をするよりエコシステムの中にウマくハマり込んで楽に生きた方が得である。

世界宗教は生きてゆくための環境としては厳しい中東や南アジアで起こったものが多く、禁欲的に深く帰依することで来世での救いへの願望が篤い信仰が特徴となっている。ところが、それらの宗教も照葉樹林帯である東アジアに伝わると換骨奪胎され、「儲かりますように」とか「病気が治りますように」とか、現世のご利益を祈願するものになってしまう。まさに阿弥陀様のご利益で儲けさせてくださいというのは、二重の意味での「他力本願」である。

基本的に生きてゆくのには苦労しないため、「あわよくばもっとおいしい思いをしたい」という発想がベースにある。このため、中国では三国志の昔以来、戦とは言っても中原の漢民族同士がドンパチやって刃を合わせることはしない。夷敵が攻めてくれば、その時は生きるか死ぬかの戦いになるので、これは決戦の火蓋を切らざるを得ない。しかし中元の民同士の戦いでは、刃を交える前に決着が付いてしまう。

武将はさておき、一般の有象無象の兵隊にはもともと将軍へのロイアリティーがないので、よりうまい物を食わせてくれて、にぎやかで楽しそうな軍隊のほうにすぐに寝返ってしまうからだ。つまり相手を殲滅するのではなく、相手を全部寝返らせたほうが勝ちなのである。このため勝負は血で血を洗うものではなくなってしまう。そして騎馬兵や鉄砲隊より烹炊隊や軍楽隊が特に重視され、ウマそうな香りとにぎやかな音楽が敵陣に届くよう、これ見よがしに競い合ったといわれる。

毛沢東率いる中国共産党の長征でも、食うに困っていた貧しい農民たちに食料を与えることで、一躍支持者とし自らの勢力基盤としたのは有名な話であるように、この伝統は現代でも続いている。現代の中国共産党も引き締め以上に「バラ撒き」にこだわるのは、この「金の切れ目が縁の切れ目」という漢民族の「伝統」の威力を、誰よりも身をもって知っているからに他ならない。

もっともそれは兵隊さんレベルの話である。リーダーはそれなりに勝ち負けをつけなくてはいけない。先ほどの烹炊隊や軍楽隊に関しても、前もって金に物を言わせて優秀な楽師や料理人をスカウトし、食材もふんだんに用意する必要がある。この部分では、勝負をかけているのだ。敵兵を寝返らせて自分の配下に集められるのも、このような形でリーダー同士の勝負に勝ったからである。

日本も、戦国時代ぐらいまではそれなりの「勝負」があった。古代貴族制の平安時代は、各荘園が独立国のような存在になっており、各地域毎に自立していた。鎌倉・室町の武家の時代は、独立した荘園と並んで各武将の下に一族郎党が集まり、独立した政治・経済の単位となっていた。戦国時代の戦国大名はまさに独立国のごとく、互いにその領地を奪い合っていた。

とはいえ、平和な鎌倉・室町時代では武士団の間で常に戦闘が繰り返されていたわけではなく、実際にフル武装で刀を振りかざすのは元寇のように文字通り「いざ鎌倉」の一大事のときのみしかなかった。実際の戦闘での戦果以上に配下にどれだけ兵隊を集めてるかがそれぞれの武将のパワーとなっていた。ただし、それと実際の戦力とは必ずしもイコールではない。だから人徳があり部下に役得をくれる武将のところには多くの兵が集まることになる。

生きてゆくことが楽な照葉樹林帯では、自分が頑張ってリーダーになるより、おいしい環境を提供してくれるリーダーの配下に入ってのほほんと暮らす方が楽だし、実際それができてしまう。その結果、やはり力のあるリーダーの下により多くの兵隊が集まってくることになる。結局武将になるかその家来になるかは、長いものに巻かれて楽しようと思うか、自分がリーダーになって勝負をしようと思うかがポイントになっていた。

戦国時代には実際の合戦も行われたが、織田信長の鉄砲隊ではないが「飛び道具」が威力を発揮し、実際の白兵戦はそれほど行われなかった。このためすでに死んでいる敵の首を取ってくるものが後を絶たず、「死人の首を持ち帰っても褒賞はない」というお触れが毎回出されたし、その文章もたくさん残っている。実際に戦う兵隊は少なく、後から辻褄を合わせて褒賞だけいただこうというのは、今にも通じる官僚的発想ではないか。

戦国大名配下の武将クラスでもこの傾向はあり、合戦になっても雌雄が決してからおもむろに参戦する軍団が多かった。関ケ原の合戦をはじめ各武将の布陣がわかっている古戦場に行ってみると、要害の地に陣地を築いて戦う意志にあふれた武将は少なく、合戦の成り行きがよくわかるが火の粉の飛んでこない、ちょっと離れた見晴らしのいいところに陣地を作っている事例が予想以上に多いことに気付く。

それは良い悪いの問題ではなく、生活の知恵なのだ。それでも世渡りできてしまう。しかし、それはある種のコバンザメ戦略であり、運よくナンバー2まではいけるかもしれないが、リーダーには決してなれない。こういうタイプの人間がリーダーの座についてしまうと組織がまともに動かなくなる。無責任なサラリーマン社長がトップに立つと、その企業では不祥事が起こりがちになるのもその典型的な例といえる。

リーダーは器が違う。器は勉強や努力で何とかできるものではない。肚が据わっていて、自分が全責任を負ってリスクのある判断をできる。もし失敗した時には、キチンと責任を負う。このような態度が取れるかどうかは教育や努力ではどうしようもなく、生まれ育ちによるミームがもたらすものだ。とはいえ例の「人間は自分以上の能力がある人間を定量的に評価できない」という法則があるので、一旦無責任な人間がトップに立ってしまった組織には自浄作用は期待できない。

ひとまず今ある組織については自然淘汰に任せ、朽ちるものは早く朽ちさせ、残るものだけを選別すればいい。その一方でこれから生まれる新しい組織については、器のない者をリーダーに頂かないことが一番である。そのためには中国3000年の戦闘のように、リーダーの器がなければ部下に一斉にそっぽを向かれる状況を作り出すことが一番手っ取り早い。そしてそのためには、組織への忠誠心を持たないようにするのが一番いいのだ。


(20/07/03)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる