商工ローンと自己責任





日栄や商工ファンドなど、中小企業相手の無担保商工ローンの問題が、マスコミで騒がれている。曰く、強引な営業と強引な取り立てが犯罪的だと。実際、警察も捜査に乗り出している。確かに、マルチ商法やキャッチセールスもかくやという強引な勧誘は、問題がないとはいえない。しかし、だからといって一旦契約してしまったものを反故にしてよいというものではない。理由はともあれ、一旦借りたものを返さないのは人間にもとる。とにかく、契約した以上はそれを履行するのが自己責任というもの。そして今の世の中、なにより自己責任をきちんと果たすのが、人間の条件でもある。

契約内容がいかに反社会的といえども、一旦契約したことは守るべきだ。それが契約の掟でもある。麻薬の取引は刑法上犯罪だが、モラルという意味では、その麻薬取引の契約条件を履行しない方が問題だ。マフィアだって、ヤクザだって、契約を守っているからこそ、それぞれのブラックマーケットでステータスを持っている。かえって、そういうアンダーグラウンドの世界ほど、きちんと契約を守らないとやっていけない。場合によっては、命さえ失いかねない。契約とはそういうモノなのだ。

契約が守れないなら、そもそも契約しなければいい。契約を結ぶ時点では、その自由がある。内容を吟味し、納得できないなら契約するな。日本人はどうにも安易に契約を考えすぎるふしがある。契約を結ぶというのは、そのぐらい重い。民事の問題は、刑事の問題よりゆゆしい。ある事柄が刑事罰の対象になるかどうかは、国や時代といったバックグラウンドによっても大きく違う。しかし、契約した当人同士で契約内容を守るというのは、人間が人間として生きてゆく以上、最低限守るべき、はじめのはじめだ。

確かに営業マンの甘口にのせられた問題があるかもしれない。だが、今回の場合返すアテのない資金を借り入れる方がどうかしている。経営者としての資質という視点からすると、それは大きい問題だ。そもそも、この手の高利資金は手を出さなければそれに越したことはないが、手を出すとしても、あくまでも短期のつなぎ資金以外では使っていけないというのは鉄則だ。これは消費者金融も同じこと。来週給料日だが、それまでにどうしても支払わなくてはいけないモノがある。サラ金が役に立つのはこういうとき。そして企業向けの無担保金融も同じことだ。支払と入金が数日ズレていて、その間のみ資金が必要というようなとき以外は、そもそも手を出してはいけない。

そうでない資金需要に、こういうタイプの金を投入するから焦げつくのだが、これは言い換えればその時点で企業は潰れているということ。脳死状態の企業に、いくら手術輸血を施しても、生き返ることはない。結局それは、不良債権を増やす以外のなにものでもない。それなら経営者の責任として、きちっとその企業を清算すべきだ。これを潰せないようでは、その時点で経営者は失格だ。企業がヤバくなってきたら、残余価値があるうちに解散し、なにがしかを株主に払い戻すべきだし、その払戻額をできるだけ大きくすることも、経営者の責任だ。つまり、死に体の企業に意味のない資金を投入した時点で、経営者としてはミスをしているということだ。

連帯保証人に至っては、こんなものを引き受ける方がバカだ。一緒に心中したいのならいざしらず、どんな親友でも、いや本当なら親子供だって連帯保証人になってはいけないものだ。それで壊れる友情なら、早く壊れた方がいい。そんなヤツの近くにいてロクなことはないはずだ。それが世の中の道理というもの。なんといったところで、自己責任の世界では「詐欺は騙される方が悪い」ということ。騙される方がバカか、欲に目がくらんだか、理由はさておき、どちらにしろ自分の責任で騙されるのだ。誰も同情しないし、誰も救ってくれない。それが競争社会の掟だ。

自己責任が果たせないようなヤツは、人間以下だ。そもそも人間以下なんだから、目玉売っても、腎臓売ってもたりないぞ。その前に人間ヤメなくちゃ。いっそ首くくって死ね。保険に入って一年たてば、自殺しても保険金ははいるのだから。死ねずに命乞いするヤツ。死ぬ勇気がないというのならそれでもいいが、自己責任が果たせないヤツには一人前の人権が与えられると思ってはいけない。人間に似た姿形はしているものの、人間より劣る生物だ。コンピュータより役に立たないといってもいいだろう。そういう連中には、これからの世の中、その程度の存在感と役割しか与えられないだろう。それでもいいというなら、生きているのはもちろん自由なのだが。

(99/11/05)



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