お師匠さん





こと日本においては、アカデミックな世界はなぜか家元制度に近い。「お師匠さん」がいて、これが絶大な存在感と権力を握っている下で自分の居場所を作らなくてはいけない。本来なら学問の世界は、自分の信念や哲学、美学に基づいて、自らの主張に殉じるぐらいの勢いがなくてはならない世界だが、このヒエラルヒーゆえに「忖度」がはびこる世界となっている。おいおい「お師匠さん」の枠の中からはみ出さない人材ばかりが頭角を現すことになる。

もちろん真の意味でリベラルというか、自分と異なる意見であってもそれなりに論理的な整合性を持っているならば多様な考え方を認めようという先生もいる。特に欧米の大学や研究施設に留学し、そこで自らのポジションを獲得した人にはそういう「グローバル・スタンダード」な先生もいる。アカデミックな世界では未だに「欧米」の権威も高いので、結果的にいろいろな学派がそれなりに共存できる余地ができている。

しかし日本においては「学界」自体が狭く、各大学の学部や学科も、権威や歴史のあるところほど「教授の椅子」という既得権をめぐる利権集団化してしまっている。このため集団間では多様性が担保されたとしても、その集団の内部では多様性を認めることは極めてまれなこととなってしまう。こうなると、まさに「お師匠さん」が白といえば、黒いカラスも白くなる世界になってしまう。これでは学問的な正統性とは最も縁遠い世界である。

こういう背景があるからこそ、「敵か味方か」という色分けが横行するようになる。このため日本のアカデミックな世界においては「YesかNoか」の二項対立的な構造になりやすい。そもそも価値観の多様性を認めない世界に身を置いている人が多い以上、「業」のようなものなのかもしれないが、一般社会生活においてもものごとを二項対立的に捉えがちになることが多い。

だからアカデミックな世界に身を置く人の多くが、多様性を認めたくないのである。科学的姿勢からは最も乖離したモノの見方ではあるが、こういう蛸壺になっているのが日本の学者の姿勢なのだ。自分だけが正しく、それと違う意見は一切認めない。この偏狭な視座はどこかで見たことがある。そう学者などアカデミックな世界に生きる人達に「リベラル」や「左翼」にシンパシーを感じる人が多いのは、このためなのだ。

左翼といえば、戦前の労農派と講座派の論争をみればわかるように、すでに戦前の昭和一桁の時代から、アカデミックな人達は重箱の隅のような違いを針小棒大にとりあげ、それが自分達の命を賭けるほどの問題点としていた。余談になるが、本来マルクス主義では「弁証法」的に「矛盾があれば、それを同時に解決するソリューションを提供する」という「アウフヘーベン」という考え方が基本だったはずだ。重箱の隅で叩き合うのでは、「大お師匠さん」が草葉の陰で泣いていると思うのだが。

それにしても日本には「お師匠さん」を欲しがっている人がかなり多い。どういう領域でも「お師匠さん」について教えて欲しがるのだ。これは江戸時代からかなり人口が集中していた上に識字率も高かったので、「教える」ビジネスが成り立ってしまっていたことが大きいだろう。この結果、自分で考えたり工夫したりする前に、誰か詳しい達人から極意を教えてもらおうという、自力で解決せずに他人に依存する気風が生まれた。

これは日本社会の環境的特性がもたらしたものである。アメリカの開拓時代などでは、教わろうにも近くには教えてもらう相手がいない環境にいる人が多かった。その分、自分で工夫して何とかしようという自助の気風が生まれてきた。教わる前に考える。他人に頼る前に自分で努力する。アメリカに企業家精神に富んだ人材が多く生まれ、新しいベンチャービジネスが次々と生まれてくるのも、こういう精神風土の背景があることは間違いないだろう。

もちろん、その分無手勝流の自己中心でどうしようもないやり方しかできない人も数多く生まれただろう。もしかするとそちらの方がよほど数多いかもしれない。だが、そういう幾多の死屍累々の積み重ねがあったからこそ、独創的でオリジナリティーあふれるやり方を発明しイノベーションをもたらした人も多く生まれた。エジソンにしてもライト兄弟にしても、自分で工夫したから不可能を可能にし夢を現実にできたし、それを実現したのもアメリカンスピリットなのだ。

さて、お師匠さんがいる二項対立のセクショナリズムの世界は、そこにスッポリ入り込んでしまうとその中では極めて生きやすいという特徴がある。遵法精神というか、お師匠さんの教えを守ってそれをウマくやっていれば自分の席は安泰だし、自分でリスクを取らなくてはならないような苦境に追い込まれることもない。権威に甘えていれば、極めて無責任に過ごせる。まさに卵と鶏のように、「甘え・無責任」の環境は、家元制度的な環境下で増長するのだ。

そういう「ぬるま湯」の世界がある中では、スゴい可能性はあるかもしれないがリスクと試練が多い茨の道を敢て選ぼうという人は少なくなってしまう。日本で独創的なベンチャービジネスが生まれないと嘆く声は多い。もちろん、日本でも優れたベンチャー経営者は生まれているが、こういう他人依存の教育環境の中で安易な道を選んでポテンシャルを潰している人材も多いことは確かだ。

東日本大震災は、日本の多くの組織でBCPプランが実際に発動された稀有な機会であろう。筆者も自分の組織の責任者としてそれを体験した。その時のいろいろな組織における対応を見ていると、マニュアル通りに対応するだけに必死なのか、その次に活動をどう復活させるのかまで考えるのか、組織のマネージャでも明らかに対応が違っていた。これは結局教わったとおりにしかできないか、自分で考える力があるかという違いである。

大事なのは覚えることではなく、自分で考え、自分で発見することなのだ。AI時代の人間の生きる道はここにしかない。そのためには「お師匠さん」を求める気風を改める必要がある。幸い、世の中は情報化社会となった。指導してくれる「お師匠さん」がいなくても、自分で必死になって情報探索すれば、ソリューションにアプローチできる時代なのだ。教わるのではなく、全て自分で発見する。すでにお膳立ては整っている。あとは教育の場を変えるだけだ。


(20/10/09)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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