社長の椅子





ファウンダーのオーナー社長と、他人が作った会社で抜擢されたサラリーマン社長とは、同じ社長と言っても会社にとっての価値は根本的に異なる。ファウンダーは唯一無二のものであるが、サラリーマン社長はほとんどの場合代替が効く存在である。この一点を取ってみただけでも根本的に異なるが、それだけではない。肚をくくって自らの責任において戦略を決断するというCEOの重要な役割に関しては、サラリーマン社長の場合それができるだけの肝っ玉を持っていることは稀で、ほとんどの場合やるべき決断ができていない。

本来会社とは、常に企業家精神の再生、リフレッシュを続けていかなければ存続できない。そういう「肚をくくった決断」により、常に会社を代謝させていかなくては組織は壊死してしまう。そうでなかったのは右肩上がりの高度成長期だけだ。日本の大企業は高度成長期に生まれ、高度成長期しか知らない組織が多いため、この特別な時期における「気ままな社長」以外の社長像を持たないとこが多い。

これらの企業は、この業種やこの商品儲かりそうだという財務の論理だけで進出した。日本の高度成長期に自動車や家電、精密機器など輸出により日本の経済を支えた業種は特に成長余力が大きかったため、各財閥グループの囲い込みもありメーカーが林立した。当時は都銀も11行あり、それぞれが系列の企業グループを抱えていたので、海外バイヤーに売れさえすれば金になった輸出業種には雨後の竹の子のごとくメーカーが生まれた。

「儲かるから」という論理だけで設立された企業は、金を積みさえすれば技術こそ買ってこれるものの、そもそも自分の事業が社会にどう貢献するのかというアイデンティティーがない。結果、経営哲学やビジョンがないまま、目先の市場でのシェアアップを目指すことになる。「自分らしさ」がないのだから、できることは「二番煎じの商品を安く作る」ことだけである。かくして日本の製造業はマーケティングもなく、こういうパクり・安売りメーカーばかりになった。

いわゆるレッドオーシャン市場の典型だが、高度成長期だったため市場自体が急速に拡大したため、シェアは同じでも市場自体の成長とシンクロする形で成長が可能だった。つまり、そこそこ儲かるということだ。バスに乗り遅れるなという言葉があるが、間接金融が多かったこの時代、資金のある企業や財閥なら、直接投資してメーカーを起ち上げれば、市場の拡大スピードと同じ成長は間違いなく得られた。

それは、金融機関に金を預けるよりも、既存のメーカーの株を買うよりも、サヤを取る業者が間に入らない分、リスクはあるものの確実に多い収益が見込めたことを意味する。そして、右肩上がりの高度成長は、作りさえすれば売れる「超プロダクトアウト」のマーケットを現出していたので、リスクはほとんどなかったと言っていい。とにかく金がある人は、メーカーを始めるのが一番儲かったのだ。これが顕著なのは、いわゆる進駐軍相手の商売から始まった業種だろう。

カメラや時計といった精密機器は、軍需産業の基盤があっただけに、下請けの町工場もどんどん自社製品を輸出して儲けまくった。筆者の詳しいギターなどのLM楽器や鉄道模型といった趣味的な業界も、この時の進駐軍景気に乗って、製造技術だけはある町工場が次々参入した。楽器には家具工場、鉄道模型にはギアなど時計等の部品を作る工場とアクセサリーの精密加工を行っていた工場が次々参入した。

そもそも高度成長に便乗して進出しただけに、こういう「右肩上がり」の市場にオプティマイズした経営しかできず、バブル崩壊以降の安定成長期のゼロサムゲームになると、とたんに勢いを失い、経営が行き詰まってしまった。ある意味、経営というだけならギャンブラーのように最初から勝ち逃げを狙ってイクジットのタイミングを図るやり方もある。アメリカのベンチャー経営者などはこれが実にウマい。しかし、そういう経営センスはそもそもない。

気が付けば、今まで作ってきた製品以外のコンピタンスを何も持っていない。自分の会社は同業他社とどこが違うのかというアイデンティティーも持っていない。レッドオーシャン市場最後の切り札である、価格競争を勝ち抜くコモディティー戦略をとろうにも、そのカギとなる資金力と生産の効率性において他者より優れているわけではない。景気がいいのに便乗して一儲けしようとおもってやりだしたが、勝ち逃げのタイミングの潮目も読めなかったということである。

「失われた十年」、「失われた二十年」の本質はここにある。基本的に経営戦略もヴィジョンもなく、ただただ右肩上がりの市場の拡大に支えられて日本経済の拡大と同じペースで経営規模が増大していただけなのに、それを大成功と勘違いしてしまい本当の意味での経営ができなくなってしまった。これこそ日本の製造業の本質である。自己努力により成長したのではなく、ただ市場に流されるままだったのだが、市場が成長していたから主リンクしなかったというだけだ。

実は企業が金儲けのための烏合の衆ではなく、社会的な良き隣人としての存在を示すためには、その企業のヴィジョンやアイデンティティーすなわちブランドやCIがなくてはならない。その企業にファウンダーが存在していれば、ファウンダーのイズム自体がブランドであり、CIである。少なくともそれを受け継ぎ、それぞれの時代にファウンダーが生きていたらどうしただろうと考えてゆくことで、常に企業を刷新し時代にあったビジネスモデルを作り出すことができる。

ファウンダーがいた企業ならばそのイズムが受け継がれているため、ファウンダー亡き後も市場が限界に達しても「こういう時にファウンダーならどういう戦略をとっただろうか」と原点に立ち戻って次の一手を考えることができる。そしてそれは社員全体の総意として容易に共有できる。経営に民主主義はありえない。良き会社とは天才が生み育てるものである。財務上の要請で生まれた会社は、21世紀には必要ない。この会社は今でも存在意義があるのだろうかと、このあたりで一度棚卸しをしてみるのも良いのではないだろうか。


(20/11/27)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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