兵隊ヤクザ





快進撃を続ける藤井聡太八段の強みの一つに、「想定外」の手を打って自分の土俵に誘い込み、相手を混乱させて勝ちにゆく作戦がある。およそゲームでもスポーツでも勝負事というのは、「ガチで勝ちに行く」ことを前提としている。ルールもそれを前提に作られている。例外は「駆け引き」を見て楽しむエンターテインメントであるプロレスとケイリンぐらいであろうか。それはそれで個人的には大好きだが、世間的には一般のスポーツとは一線を引かれてしまっている。

さて「ガチで勝ちに行く」ことを競う勝負では、展開はおのずと「最善手の争い」となる。互いに最善手を取りつつ、その中でいかに相手のミスや誤判断を誘うかが勝利へのカギとなる。最善手同士の闘いとなれば、いわば読み切りの問題なのでこれはAIの方が強い。碁などは、今後のスーパーコンピュータなどの発達により、あらゆる打ち手を読みきってしまえば、その展開で先手必勝か先手必敗かどちらかわかってしまう。

オセロなど比較的簡単なルールのボードゲームでは、すでに最善手展開同士の進行とその結末が解明されている。どうやら小さな盤では後手必勝、大きな盤では先手必勝になるようだ。最善手同士の戦いは、まさにコンピュータプログラム同士の戦いであるわけで、コンピュータゲームには必ず「必勝法」があるように、必要とされるリソースはさておき、論理的には必勝法に帰結できるものであることは理解しやすい。

さて、それはコンピュータが生真面目に必勝法同士で闘うからこそ、帰結を予測できるのである。人間は読み違えたり、敢えてあり得ない手で外したりすることがある。将棋や碁に限らず、スポーツでも芸術でも天才的な上級者ほど「外しワザ」を効果的に使う。予想外の展開で相手がペースを崩したところに付け込んで、逆に一気に挽回するところまで含めて考えた上で、外しに行くのだ。最善手に最適化されたアルゴリズムでは、こういう外し技には対抗できない。

どんな悪手も含めて全手を読み切れば、対抗術を読み切れる可能性もあるが、それには膨大な時間とリソースがかかる。もちろん、時間制限が一切ないのであれば、AIはフェイントには惑わされず、そこからの勝ちパターンを読み切るであろう。しかし、ルールに組み込まれた時間制限の中でいかに勝つかというのが、ゲームの本質となっている。ここになって、ルールの中に制限時間を取り入れた人の慧眼さが生きてくる。

いかにAIといえども、時間のルールがある勝負の中ではそれは余りにリスキーなので、ある種の駆け引きとして最善手での争いであることを前提にアルゴリズムを組み、即決で次の手が出せるようなプログラムにしている。過去の最善手のパターンから「絞ることで深読みする」のがAIの強みである。「外し手」が出ることで最善手同士の戦いでなくなると、この強みが活きなくなり、人間が直感的に考えるより時間がかかり人間に負けることになる。

時間制限というのは、こういうことを想定して導入されたものではなく、もともとは無制限に長考に入ってゲーム時間にキリがなくなるのを防ぐためだったとは思われる。ところがコンピュータ時代となって、コンピュータ対人間という別の対決が生まれてきたところで、結果的にそれを一方的なコールドゲームにしないための重要なファクターとなったのだから面白い。やはり面白いゲームであるためには、ルールの設定がカギとなるのだ。

ここに、AIと人間の棲み分けの一つの可能性が見つけられる。古今東西のいろいろな戦争の戦歴を見ても、「想定外」の手を出して制した事例が多いことに気付くだろう。軍隊はチームワークなので、敵の攻め方の想定をしてそれにオプティマイズするように訓練をする。一番強い敵が攻めてきた時にも、それに対抗することができる戦術を取れるようにするワケだ。基本的には「備えあれば憂いなし」で、それが組織としての最善策であることは間違いない。

そういう意味では正規軍の訓練は、まるでコンピュータのプログラミングのように、組織の行動様式を訓練により「プログラミング」するといってもいい。ある意味、いわれたことしかできない相手に、最高のパフォーマンスを上げさせるためのプロセスという意味では全く一緒だ。だが、そこに最適化しすぎると、逆に想定外の対応ができなくなる。正規戦では世界最強の筈の米陸軍が、対ゲリラ戦となるとてこずってきた理由がここにある。

組織を効率的に動かすには、最善手にオプティマイズしてその錬度を高めてゆくのが一番効率がいい。これはある意味スケールメリットを追求するということと同値である。だが、大国の正規軍同士の戦いがあまり起こらなくなった現代では、一人一人が現場で臨機応変な作戦を取れるチームワークを作っていた方が、結果的には勝利する。これなら正規軍であっても、ゲリラやテロリストと互角の勝負ができる。

これもまた野仲先生が、「失敗の本質」で日本軍と米海兵隊を比較して、その勝敗の原因を明らかにした分析から見て取れる。海兵隊は命令されて動くのではなく、兵士一人一人がその戦いの戦略的目的自体を理解し、そのための戦闘を最後の一人になっても戦い抜けるように、自ら戦術を立てて戦えるような訓練を受けている。このため同様に一人一人が独立愚連隊なゲリラ相手でも互角に戦えるのである。

それだけでなく、陸軍で言う歩兵だけでなく、烹炊隊、輜重隊、兵站隊など、普段バックヤードを担当している兵士も、いざというときには「最後の一人」として戦えるように、同じように訓練を受け戦闘可能な状態を保っている。カギはここに見えている。一人一人が戦略的目的を理解し、自分で考えて行動できることである。これができるかできないかが、AI時代の「対コンピュータ」の勝ち負けを決めることになる。

アメリカの海兵隊も、元々腕力だけがとりえのヤサグレ野郎みたいのがけっこう入ってくる。それを、自分で考えて行動するように鍛えているのだ。それは、彼らが一匹狼的で、誰かに甘えて生きていくのではなく、自分の腕で道を切り開いて行くマインドがあるからできることだ。そういう意味では、秀才はさておいて、半グレやヤンキーならAI時代に人間ならではの強みを発揮できるポテンシャルは高いだろう。自信を持っていい。あとはそういう人材をを活用できるリーダーさえ出てくればいいのだ。


(20/12/11)

(c)2020 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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