政治の短視眼化





前回のこのコーナーでは、ポピュリズムがいかに「目先のニンジン」にのみコダわるかについて論じた。まあ、ポピュリズムは政治的には手段が目的化し、行き着くところまで行き着いた究極のキワモノなので、ポピュリストがそのまま政権の座に着いたりすればこれはそのまま「事件」である(だからナチスの政権奪取は世界史的な大事件であり、それを熱狂的に支持したドイツ国民の心理的メカニズムをもっときちんと研究して正確に把握する必要があると言っているのだ)。

そこまで行かなくともポピュリズムとは民主主義が生み出した「不肖の息子」である以上、現代の政治家の中には多かれ少なかれポピュリズム的傾向は見られる。どちらかというとゴリゴリのポピュリスト政権が誕生する恐怖よりは、民主国家の一般的政治家であれば誰もがある程度持っている「ポピュリスト的性格」の方が現実的な問題を引き起こす可能性は大きい。スペクトラム的なポピュリズムの度合いが強いの人ほど、「風頼み」的な行動をしがちである。

政治家にとっては「落選したらタダの人」といわれるぐらい、「次の選挙で当選すること」は何よりも優先する課題である。ポピュリズムまでいかなくとも、「有権者のご機嫌取り」は昔から議員さんの重要な仕事であった。選挙区に戻ればやることはこればかりである。議会の会期中も地元から来た陳情団の声を聞き予算をつけてやり等々、時間的には最も多くの部分を「地元対策」に費やしているのが現実だ。日本でも普通選挙が施行されるとともに、「我田引鉄」と呼ばれたようにロコツな利益誘導で票を集めるようになった。

これは与党も野党も変わらない。いや、野党の方がさらに熱心かもしれない。特に野党の地方議員などは、この「陳情」と「口利き」が仕事のほとんどである。選挙演説になると、「この交差点に信号を付けた」とか「生徒の給食費を補助金で只にした」とか、かなりストレートな「業績」が誇らしげに語られる。もっと直接的に、先生にお願いするとウェイティングの多い保育園にスッと入園できたなどというご利益もある。

そこまでやっても、落選する時には落選するのが選挙である。世襲で万全の地盤となった支持者がいる政治家でない限り、まずは当選しないと何も始まらない。はからずも「河井夫妻選挙違反事件」は、地盤のない世襲ではない候補者が、いかに当選することを最優先の目的化してしまい、そのためにはどんな汚い手を使うこともいとわないことを白日の下に晒した。政治家として天下国家を論じる前に、なにより当選することが優先されてしまうのだ。

多くの候補者が「次の選挙での当選」を最重要視してしまう以上、民主主義の政体を撮る限り、有権者にウケて票に繋がるコトばかりやるようになり、どんどん政治的視点が短期視点化することは否定できない。よく政治家の世襲を否定的に捉える人がいるが、目先の選挙やそこに密接する利害にとらわれずに、政治家として百年先の天下国家を考える余裕が持てるという意味では、けっして悪いことではない。むしろ中長期的な視点から政治を行うためには、必須の存在とさえ言える。

さて昨年から始まった新型コロナ騒動に対する無為無策さは、現代日本の政治家がいかに短期視点でしかモノを見られなくなっているかを白日の下にさらした。政治家が科学に弱いのは、これはある意味仕方がない。だからといって学識経験者などの「専門家」の意見に振り回されてしまうのも考えものである。正しくリーダーシップを発揮するのであれば、ビジネスにおいて「士業」の先生を使うのと同じように、まず政治家自らが戦略を立て、その評価を専門家に諮るべきである。

特に医学分野で顕著な「金権御用学者」が、政治家の科学への無知をいいことに、大局に立った国民のための提案でなく、自分達の私利私欲に根差した利権誘導的な提案をしがちなことはよく知られている。かつての「ミドリ十字」事件のように、厚生労働省でも旧厚生省関係は利権の渦であり。それにタカろうという「黒い巨塔」の医学者もたくさんいる。そして、そういう腹黒い人ほどさらに利権を拡大できる政治がらみが大好きという悪循環を生み出す。

今回のコロナ騒動も、最初からそういう「腹黒い医学者」の暗躍が目立つ。彼らは国民のことなど考えていない。自分達の利権を守り拡大することだけに邁進しているのだ。それは官僚にとっても、自分達の利権拡大に繋がるためここに悪の連携が生まれる。これに対抗できるのは、それらの悪行を受け止めた上で、国士として天下百年の計・千年の計から、悪代官等を成敗する水戸黄門のように官僚の暴走を諫める存在である。それこそ政治家の本来の役目ではないか。

しかし、今の政治家はその役割を放棄しどうするのが一番票になるかということしか考えていないところに問題がある。話題性のあるものに乗っかり、目立つスタンドプレイばかりするのである。特に、党派性というより個人技の領域が大きい都道府県知事は、極めてその傾向が強くなる。そういう意味では、今回の新型コロナ騒動ははっきりいって人災である。肚をくくって、百年の計に基づく強いリーダーシップで全体最適を図る。今求められているのはそういう政治家なのだ。


(21/04/30)

(c)2021 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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