日本の恥部





日本においては、過去の歴史を見ても「上からの圧力」というのはほとんどない。もし何らかの圧力がかかったところで、「旅の恥は掻き捨て」「鬼のいぬ間に洗濯」の庶民感覚で乗り切ってしまうアジア的な大衆感情にモノを言わせて、そこそこ面従腹背で乗り切ってしまう。見つからなければ、やっていないのと同じというのが基本的なセンスである。中国のように権力と民衆の間で信頼関係がない国においては、こういう「上に政策あれば、下に対策あり」の伝統は極めて根強い。

しかし日本においては、江戸時代の18世紀に史上最大のGDP世界シェアを占めたように経済力が発展しすぎたこともあり、近世においては地球上のどの国よりも庶民の力が強くなってしまった。このため経済的な部分においては「上が下に頭が上がらない」状態が発生し、他のアジア諸国とはちょっと違う「伝統」が生まれてしまった。それは敵対的ではなく、庶民がウマく「お上」とその権威を利用するという共生である。

そこから生まれたモノこそ、日本社会を特徴付ける「忖度と同調圧力」だ。日本社会において起こる動きは、ほとんどがこの「忖度と同調圧力」に基づいて起こっている。しかしこれこそが日本社会の恐いところとなってしまった。まさに「お上」をヨイショし、その隙に自分の都合のいい「我田引水」を導き出すものが忖度である。本当に上に対して敬意を持って対応するのではなく、あくまでも「へつらう」ことで自分にとってオイシイ結論に結び付けてゆくのが忖度の忖度たる由縁だ。

日本における「同調圧力」というのも、上が下に意図的に圧力をかけて起こるものではない。長いものに巻かれているいるのが楽だし、そうしていたいからこそ皆が「長いもの」を探し求める。その結果あるトレンドが生まれてしまうというのがその真相である。同調「圧力」ではなく、同調「志向」といった方が正しいだろう。リーダーがいなくても自然とみんなが求める方へうねりが起こってしまう。まさにこれは古典的な大衆論そのものである。

お上と庶民の共生関係は、形を変えたものの明治時代までは続き、一応のバランス効果を発揮してきた。しかし20世紀に入ると、この庶民感覚の方は変わらないまま、大衆社会化が進んでゆく。江戸時代に教育を受けた有責任階級出身者ではなく、庶民出身の秀才エリートが官僚となって官庁を支配し、将校となって軍隊を支配するようになった。普通選挙の実施とともに、政治の世界も無責任な庶民の感覚で行われるようになった。

まさにサイレントマジョリティーのポピュリズムである。無謀な太平洋戦争を始めて終われなくなったのも、この「サイレントマジョリティーの支持」が原因だ。まあ、もともと明確な意図を持って指示していたわけではなく、ただその場のノリと雰囲気で熱狂してしまったワケなので、その支持自体が極めて無責任で刹那的なものであったことは確かだ。このあたりは部数拡大を狙って戦争支持の報道を繰り返した当時の新聞紙面を読み返せばよくわかる。

その一方で戦前を暗黒歴史にしてしまって、軍部に責任を押し付け、実は熱狂的に戦争を支持し求めていた庶民一人一人の責任はあいまいにしてしまったのが「戦後史観」の本質である。そのような考え方は、来るべき冷戦の防波堤として敗戦国日本を利用しようとしていたアメリカにとっても、既存の権力機構や行政制度をそのまま利用する上で便利だったからこそ支持された。それこそ無責任史観であり、無責任階級たる日本の庶民にふさわしい考え方ではないか。

そういう意味では、「戦後史観」はアメリカが押し付けたと言い切るのも不適切であり、日本の庶民が持ち続けていた無責任さをうまく利用し、冷戦体制の中での日本の役割を果たすシステムとして活用したと言うべきであろう。つまり第二次世界大戦の敗戦は、日本の権力構造の中で「責任ある権限」の体系を確立するためのいいチャンス(「失敗の本質」ではないが、太平洋戦争の教訓を活かせばそういうことになる)であったにも関わらず、アメリカの思惑で無責任体制が温存されてしまったのだ。

今も根強く無責任体制が日本にはびこっていることは、何よりも去年からのコロナ騒動で完全に証明された。「甘え・無責任」が権力トップにまではびこる「日本的組織構造」は今も全く変わっていないことがよくわかった。しかし、これでは21世紀の世界情勢の中で生き残ることはできない。しかし、庶民が責任を取る必要はないし、それは1000年かかっても無理な要求である。必要なのは、有責任階級と無責任階級を分け、リーダーシップは有責任階級にのみ取らせることである。これは今ならまだ間に合うだろう。世襲こそ正しいのだ。


(21/11/12)

(c)2021 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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