成金と篤志家の間に





戦前の日本においては、P/Lベースの金持ち、すなわち年収の多いだけの人間は「成金」として蔑まれる一方、B/Sベースの金持ち、すなわち先祖代々の資産家は篤志家といわれ、地域の名望家として尊敬されていた。この伝統が崩れたのは、戦後GHQによって行われた「民主化」という名の悪平等の押し付けの影響である。その結果、資産の多寡には目を触れないようになる一方、人間を年収だけで測るという悪しき風習が生まれた。

このような伝統があったからこそ、いまでこそCSRだSDG'sだと言われれるが、日本においては資産家達が、江戸時代から地域の繁栄のために自らの資産を投げ打って今でいうインフラ投資を行ってきた。新田開発などはよく知られているところで、篤志家の名前がそのまま今でも○○新田として地名になっているところも多い。その結果地域の発展になくてはならない人として地元では誰もが一目置く存在であった。

明治時代になると、経済の発展とともにその資産の投資先は一層拡大した。銀行を作り、新たに地元に生まれてきた産業に積極的に投資するだけでなく、国鉄の駅から自分の町まで通じる鉄道を開業したり、地域の才能のある若者を支援して、都会で高等教育を受けさせたり、海外への留学の資金を出したりするなど、間接的にも地域の発展のための投資を個人のリスクで請け負ったのだ。中には学校を建ててしまう人もいた。

日本でもかつてはそのような社会だった時代が確実に存在したし、その活力が明治という短期間で一躍列強に伍する国へと成長するエネルギー源となったのは間違いない。日本は篤志家が支える国だったのだ。しかし、このような「民の力」の活用が徹底しているのは、何と言ってもアメリカだ。ある意味、アメリカという国は中央政府が戦略的に指導したのではなく、民間が勝手にフロンティアを求めて「自治」の中で広がっていった国である。

だからこそ、民営化などという以前に、全て新しいスキームは民営から始まっているのだ。「小さな政府」でも「官」が保有する暴力装置である「警察機能」さえ、保安官という形で民営からスタートさせたぐらいだ。というか、西部の開拓地においては全く中央からの管理は不可能で、そこにいる住民による自治で運営せざるを得なかったのだ。こういうルーツを持つ国だからこそ、民間が自分の金で積極的に何かやることは、応援こそすれ足を引っ張ることは絶対にない。

アメリカで寄附制度が盛んなのもこのためだ。一度税金で徴収した上で公益的投資を行うより、税金の代わりに直接寄附をする。現場に近いほうが実体が正しく把握でき、より機動的な運用ができる。税金より寄附を奨励すればするほど、その方がコストパフォーマンスも良くなる。まあ、役人のポケットに入るオーバーヘッドがない分、効率がいいのは容易に想像できる。これも最初から利権にしなかった(できなかった)からこそなせる技だ。

このような形で、日本においては長らく資産家は、その存在感が社会的に認められ評価され尊敬されていた。その分社会的な責任や役割も果たすことが求められたが、そこまで含めて地域コミュニティーの中での重要な位置付けがあった。その分資産は代々受け継がれ、地域の産業や文化を生み出す大事な資金となっていた。それは個人の資産であると同時に、地域の資産でもあったのだ。そしてそれを減らすことなく永続的に伝えてゆくためには、資産家個人の資産として受け継ぐことが最も効果的であった。

その一方で成金はキャッシュフローこそ潤沢だが、その資金力を資産として社会的に運用できるかは、それを二代・三代と受け継ぎつつ拡大していけるかどうかという今後の展開にかかっている。もちろんそれに成功し資産家の道を歩むことになった成功者の家系も結構あるが、稼いだものをあぶく銭と一代で使い果たしてしまう人も多かった。というより成金においてはり、資産家としての帝王学を知らないまま銭だけが溢れてしまう状態の人の方が多いから、結局は身上を潰すことになってしまう。

事業は金儲けのための手段ではなく、最初から事業のヴィジョンに高い社会性があるからこそ、ためにする「社会貢献」は必要ない。社会性あるヴィジョンにより私利私欲にかられた事業ではなくなるからこそ、成功が担保されるのだ。そして、その事業が成功し成長することこそが、社会のためになり人々に幸福をもたらすことになる。このグッドサイクルが事業の中に組み込まれていてこそ、社会的価値の追求とビジネスの成功が一致する。

大河ドラマで話題になった渋沢栄一のように、江戸時代に生まれて明治に事業を起こした企業家の多くは、事業により日本の経済を発展させ先進国の仲間入りをさせることが、なによりも社会に対する貢献だと考えていた。程度の差こそあれ、皆このような高邁な事業ビジョンを持っていた。まさに企業家における「坂の上の雲」である。ビジネスを成長させることを通して日本を大国にすることこそ、企業家としての何よりの社会貢献と考えていたのだ。

そして20世紀になり、明治から大正へ時代が変化する。日本が大衆社会化を始めた大正デモクラシー期は、丁度第一次大戦後の復興景気で日本経済が湧き、アメリカのローリング20'sの影響もあり、湯水のように金が儲かった時代でもあった。この時代に、無産者から一旗当てて財を成した人達こそ、元祖「成金」である。事実「成金」という言葉自体が、この時代の流行語から生まれた。金だけは溢れるほど持っているが人品が卑しい人たちを、将棋の「歩」がひっくり返って「金将」と同じになった駒に例えたのだ。

こういう初代「成金」の特徴は、事業や投資に対する戦略的な発想がないまま、たまたま商売が当たって儲かってしまったところにある。彼等はもともと「宵越しの金は持たない」人達だ。こういう人達があぶく銭だけはフトコロに溢れかえるようになってしまったのだ。もとより戦略的に事業を考えられない人達である。こうなるとこの溢れる金も、個人的な贅沢をするしか使い道がなくなってしまう。それまでの篤志家的資産家とは全く異なるタイプの「金持ち」が現れてしまった。

資産を扱うには、それなりの品性が必要なのだ。本当の資産家は、資産を自分の代で減らしてしまってはご先祖様に合わす顔がないので、自分の生活自体はかなり質素である。成金のように自分が贅沢する発想ではなく、自分は万世一系の「資産」の現在の管理人なのだ、という意識である。自分が頑張って増やしこそすれ、それをフローとして使ってしまおうという発想はないし、それは家訓などで厳しく戒められている。

本当の資産家というのは、こういう人格者でなくてはつとまらない。高所得者としてフローが多いだけの「成金」とは、育ちが違うのだ。戦後の「民主化」は、こういう「人間の器」の違いを見極めるスキームまでも破壊してしまったのだ。21世紀の情報社会においては、再び「人間の器」がモノを言う時代となる。そのような時代においてグローバルな競争力を持つためには、単なる成金ではない篤志家としての資産家を見極める目が必要となるのだ。


(22/03/04)

(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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