大陸大国の宿命





同じスラブ民族同士のロシアとウクライナが戦争状態になり、かなり膠着した状況になっている。どちらも元ソビエト連邦の主要構成国だっただけに、広い意味では内戦状態といえる。国際紛争と違い内戦にはその国や民族にしかわからない要因が大きく、部外者にとって理解しにくいものとなりがちである。「守るに強く、攻めるに弱い」スラブ民族の特性というのもあるが、大陸大国ならではの特徴的な意識というのも大きく影響している。特にこのような大陸大国的な要素は、島国に住む日本人にとって本質を理解しがたいものとしている。

世界において大陸大国といえば、ユーラシア大陸のロシアと中国、そして海洋大国という側面も併せ持っているアメリカ合衆国がBig3である。小国においては、権力者が直接的に国民と対峙し、その支持を得ることはたやすいし、それが権力の基盤となっている。その一方で大陸大国は事実上多民族の寄り合い所帯を、何らかの絆により権力と結びつけ、求心力を発生させなくてはそもそも国としてまとまらない。そしてその絆は国ごとに特徴的なものとなっている。

中国においては、人々を王朝に引き寄せる鍵は「金」であった。中国においては庶民は「絶対的な忠誠心」のようなものは全く持ち合わせていない。その時その時で、刹那的に「よりおいしい方」を選ぶだけである。だから中国には歴史的に「スパイ」という概念がない。金さえ積めば誰でもより多くの金を出した方に転ぶ。忠誠心の高い人間を偽装して敵に忍び込ませるより、敵のキーマンを寝返らせる方が余程簡単で安全だからだ。

こういう伝統があるからこそ、歴史的に中原の中での中国人の国同士の戦は、チャンバラ・ドンパチやらずに、その前に雌雄を決してしまう。つまり兵隊を全部寝返らせて自分の配下にしてしまうことができるので、戦わずして勝ってしまうのだ。このカギになるのが兵士の待遇である。うまいものをたらふく食わせて、楽しい娯楽もある方に付く。だから中国の軍隊では司厨隊と軍楽隊の地位が異常に高かった。よりウマそうな食事の香りと、より賑やかな音楽が聞こえれば、兵隊は全部そっちについてしまうのだ。

だからこそ、バラ撒きができなくなった王朝は、人々から見放される。これが「天命が尽きる」である。そうなると、人々はバラ撒いてくれそうな権力者を探して、そちらを支持するようになる。一番おいしい条件を出した者が、最も多数からの支持を集め、それが全国に行き渡ると、次の王朝を起ち上げることになる。天命が次の皇帝に移ったとみなされ、これが「革命」である。そう考えると「天命」の中身が「人々へのバラ撒き」であることが理解できるだろう。

さてロシアというかスラブ民族圏においては、王朝のパワーの源泉は「力強さ」であった。元々求心力がない民族である。何もなければみんなバラバラに勝手なことを始めてしまう。ところが「こいつをカシラに担いでおけば、安心だし良い思いができる」というリーダーが現れると、「ひとまずその手下になろう」とそこにみんな集まってくる。そして権力として機能するようになる。ロシアにおける王朝への支持がこういう構造を持っている。しかし、それはあくまでもアドホックな支持でしかない。

従って、配下の大衆を常に引き寄せておくには、常に「より強い」姿を見せ続けなくてはならないというジレンマがある。ロシア帝国が必ずしも領土としての帳尻が合うわけではないシベリアへ中央アジアへと版図を拡げ続けなければならなかった裏には、このロシア的な宿命がある。そして19世紀になりイギリスやトルコとの対立が強まって拡大が難しくなってきた上に、日露戦争で新興国の日本に負けてしまうという結果になり、ロマノフ王朝は滅亡することとなってしまった。

もちろん共産党王朝たるソビエト連邦も同じである。コミンテルンで影響圏を拡大し、東欧を勢力圏とし、第三世界に共産勢力を浸透させている間は権力として万全であった。しかし1980年代になり、アフガニスタンに進駐し現地のゲリラにボコボコにやられてしまうと、共産党への支持は地に落ち王朝は崩壊してしまう。この構造がわかっていないと、プーチン大統領がなぜここで戦闘を始めなくてはいけなくなったのかという大きな理由が見えなくなってしまう。

この点アメリカはちょっと異質である。アメリカは、もともとピルグリム・ファーザーズから始まった国だけに、「In God We Trust」のプロテスタンティズムの神と個人の契約関係というある種の忠誠心がある。もちろん多人種・多宗教の国家ではあるが、人種を越えてプロテスタントの信仰はマジョリティーである。大統領就任式で、聖書に手を載せ神に誓う形をとるのは、この神への忠誠心を国家への忠誠心と重ねあわせることで国家としての求心力の源泉としていることの表れである。

いずれにしろ、多民族の大陸大国を一つにまとめ上げるためのエネルギーというのは、最初から島国で版図が決まっている中で生まれ育った日本人にはちょっと理解しにくいものがある。ある意味、日本の企業がグローバル展開する際、日本人社員ではアメリカや中国で歯が立たないことが多いのも、この違いに起因するものが多い。逆に大陸国家育ちの人間には島国の理が理解できないことも多いだろう。まあ、理解しろとまではいわないが、こういう違いがあるという事実だけは頭に入れておいたほうがいいだろう。


(22/03/11)

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