風流とは





今でもファインアートや音楽、演劇などでは顕著に見られる傾向であるが、基本的に生業で日銭を稼がずとも喰っていける「家が太い人」が文化を支えてきたのは間違いない。その中でも、表現者としての生活基盤を安定させるだけではなく、自分の持っている資産を惜しげもなく自分が興味を持っている領域に投入し、そのカルチャーが立ち上がるプロセスそのものを築き上げてしまった人も多くいる。

そのような豊かな家に生まれ、なおかつ才能に溢れていた人が、どんな分野でも活躍したし、それぞれの分野の基礎を作ったことは間違いない。「家が太い人」は、パトロンがいなくても自力で作品が作り出せるし、未だかつて誰も見たことのないような新しい表現作品を創り出し、ジャンルの壁を乗り越えて新たな地平を作ることも、自分ひとりの力だけで可能になる。

貧しいが才能溢れる作家と、それを惜しげもなく支援したパトロンの美談は良く語られるが、実はそのジャンル自体はこのような「家も太く、才能にも溢れる」人が自力で切り拓いたものにルーツがあるほうが多い。これは例挙にいとまがないが、特に典型的なものとしては、江戸時代に世界に誇るべき風流な江戸文化を生み出した流れを挙げることができるし、これはわかりやすい事例である。

蔦屋重三郎の周辺で戯作文学の作者として活躍し、「浮世絵の黄金期」と呼ばれる天明・寛政期の江戸カルチャーを支えた「クリエイター」たちは、その多くが上級武家や豪商の二・三男以降の生まれの人々であった。家における彼等の存在意義は、跡取りの長男にもしものことがあったときのスーパーサブである。その時には跡を継がなくてはいけないので、それなりの教養や作法は叩き込まれている。

しかし「もしものこと」が起きない平時においては、基本的に親の金で喰ってゆける高等遊民である。そして「もしものこと」は起きないことの方が多い。こういうバックグラウンドを持つからこそ、豊富な和漢の古典の知識をベースに、縦横無尽にウィットや風刺の効いた知的レベルの高いジョークを盛り込むことができ、それが今までにないジャンルの作品を生み出すことに繋がった。

それが当時台頭してきた富裕市民層のエンタテインメントとしてヒットとなり、さらにそれが波及して一般の庶民も巻き込んだブームを生み出すことになる。そのベースを見てゆくと、作者たちの「家が太い」ということに行き着く。家が太いことが、働かなくとも喰ってゆける環境と、豊かな知性と教養を生み出す教育を与えてくれた。だからこそ、黄表紙本も生まれ、浮世絵も生まれたということができる。

1970年前後の日本のロックの黎明期を支えたのは、自費で海外に渡り、最前線でロックレボリューションの熱い波を体感してきた人たちだ。ロンドンに渡った竹田和夫氏、LAに渡った大村憲司氏など、当時現地でも最先端のロックギター奏法を会得して帰ってきた。これも、優れた才能と豊かな資金を併せ持っていたからこそ可能だったことで、こういう人達がいなければ日本の音楽界は十年遅れたであろう。

また1970年代末の第一次ベンチャーブームの時、当時はベンチャーキャピタルも個人投資家もいなかった中、次々とソフトハウスを立ち上げた若者達の多くは、実家に資金を出してもらいそれを元手に起業した。カリフォルニア大学バークレー校に自費で留学した孫正義氏は、本人は多くを語らないが実は久留米のパチンコ王の息子であることは有名である(脱税と関係が深いので多くを語れないということもあるが)。

天の物とも地の物ともつかない、多くの人が荒唐無稽と考えるプランに出資する人はほとんどいない。オウンリスクで投資できる人だけが、そのスタートアッパーとしての栄光を手に入れることができる。自ら持って生まれた才能と財力を、新しい可能性に賭けることができる人が、時代を開くことができるのだ。まさに風流とは、自分が信じることに惜しげもなく自分の財力を投入できることである。これは才能と財力を併せ持っていなくては成し遂げることができないワザなのだ。


(22/04/01)

(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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