兄弟喧嘩は犬も喰わない





他人との喧嘩は、金だったり権利だったり大体何がしかの理由があるし、その理由は第三者にも理解しやすい。それだけに落しどころも見つけやすい。仲裁が可能なのは、こういう喧嘩の場合である。その一方で兄弟喧嘩は、その根底に情念の対立があるのが特徴だ。情念の対立は理性的に理解・把握することが不可能なため、基本的に第三者による仲裁は不可能である。それはとりもなおさず、法律などによる合理的解決が不可能であることを意味する。

遺産相続などが最も揉めるのは、この兄弟喧嘩の要素が入ってくる時だ。第三者がみて全く条件は同じなのに、あっちがどうだこうだとお互いに文句を付け合う。これは金銭的価値は全く同じであっても、当人にとっての思い入れの深さという、全く他人には理解不能な基準で争っているから起こる事象である。財産としての価値ではなく、他人にはわからない「遺品への思い入れ」や、「故人との関係性の深さの証」といった価値から遺品を評価するのである。

元々の争点が理解できないものである以上、第三者には収拾のしようがない。これが、遺産相続がこじれる大きな原因の一つになっているのだ。こうなってしまっては、もはや誰がどれを取っていっても遺恨を残すことになってしまう。これを解決するには、「モノ性」を消し去るべく、せいぜい全部を換金して、現ナマで分け合うという解決策しかない。不動産だったら、ワンルームマンションとかの集合住宅にして、持ち分で分け合うのもいいだろう。

日本では殺人事件も、貧困からの強盗殺人が多かった戦後すぐの時期はさておき、豊かで安定した社会となってからは、その件数の6割近くが親族間での犯行である。他人なら、村八分にしてシカトしてしまえば簡単に絶縁でき、視野の中から消すことができる。しかし、親族との関係はそのように消すことができない。そのため切羽詰った状況に追い込まれると、相手を「消す」ことによってしか解決ができなくなってしまいがちである。このように、どろどろした情念が重くのしかかっているのだ。

一般の国際紛争と民族内の紛争の違いにも同様の要素がある。一般の紛争のように、付加価値の高い資源や地域を取り合うという要素もあるものの、それ以上に他の国民や、他の民族からは理解できない「情念」が争いの根源にある。今回のロシアとウクライナの紛争も、国際戦争という視点だけでは理解できない行動が多く、東スラブ民族内での紛争という、スラブ系以外の他の民族には理解できない要素がその根源にある。

戦争自体は決して合理的な解決法ではないが、その前提になる国際紛争の原因には、ある種の合理性と普遍性がある。だからこそ、場合によっては紛争の元になる対立が起こったとしても、平時の交渉や金銭的な対策で解決してしまうことも多い。というよりも、多くの場合、実際の武力衝突に至る前に解決を見ている対立の方が多い。それでどうしようもないほど一方が追い込まれたときに、「窮鼠猫を噛む」でドンパチはじめるワケだ。

その一方で民族内の紛争では、そもそもの対立が面子や情念が絡む非合理的なものと深く関わっている。まさに兄弟喧嘩と同じである。それが命より大切なことは、当人達にしかわからないものであり、第三者が外から見ても、なんでそこまで拗れるのかいっこうに分からないということになりがちである。しかし、その「他人が理解できない」問題こそが、対立を生み武力衝突を引き起こしているのだから始末に悪い。

だからこそ、プーチン大統領個人の野望や資質に原因を求めたりする、見当外れの「解説」が横行している。軍事評論家などは、通常の武力衝突紛争と同じように見るから、本当の原因が見えてこない。政治評論家も同様である。ただ、スラブ民族の歴史に詳しい有識者だけが比較的正しい分析をしているのだが、こういう先生方はかなりオタク的でマイナーなため、ジャーナリズム等が取り上げることが極めて稀になってしまっている。

とはいえ、面子や情念の対立というのは人間の性である。その発露の仕方には民族性・国民性が現れてくるだろうが、国内での正当性を賭けて戦う内乱は、どの民族・どの国においても同じように見ることができる。日本においてもそれは例外ではない。古くは魏志倭人伝の「倭国大いに乱る」に始まり、壬申の乱、源平合戦、応仁の乱等々、枚挙にいとまがない。そしてそれらは単なる領地の取り合いなどとは違う、歴史的に見ても大きな戦争となっている。

合理性とは違うところでとことん争っているのだから、ここには第三者が入り得る余地はない。火の粉が飛んで来ないようにするのが精一杯の対応であろう。しかし、そもそも相手を皆殺しにして財産を奪おうという強盗的な動機ではないので、それなりの落しどころはあるはずだ。しかし、それがどこなのか、何が守られれば面子と情念が満たされるのかは、当事者だけしかわからないものである。そこがまた兄弟喧嘩のややこしいところでもあるのだが。


(22/04/08)

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