テストの点





地頭が良くて自分でモノを考える力があることと、学校の勉強ができることは全く別の能力である。もちろん、両方にたけた人もいないわけではない。人間は自分以下の能力の人間については、かなり正確な定量評価ができるが、自分より能力の高い人については「スゴい」ことはわかっても、それがどのくらいすごいのか、どちらがよりスゴいのかを客観的に捉えることができない。だから多くの一般人にとっては、地頭がいい人と勉強の出来る秀才の区別ができない。

しかし、その頭の中でやっていることは全く異なる。テストの点数を取るのがうまい秀才は、自分で考えて答えを出すのではなく、テストでいい点を取るための反復トレーニング(=勉強)を重ねることで、解き方を覚えてマスターし、手際よく正解を出すことにたけているからこそ、いい点が取れるのだ。これをいちいち考えて解いていたのでは、制限時間があるテストではタイムオーバーになってしまうことの方が多い。

一方、地頭がいい人間は覚えるよりも思いつく方が得意である。極端な話、公式を覚えるのではなく、公式の意味を知っていればその場で公式を導き出して解いてしまう。流石に書き取りの試験とか完全な暗記物はさておき、考えれば解ける類の科目(数学や物理など理科系の科目には多い)については、けっこう覚えずに「考えて解く」方が楽なのだ。実際、こういうタイプの人間は丸暗記はあまり得意でないことが多い。

かつて1970年代までの大学進学率が低かった時代は、志願者数が少なかったということもあり、完全に記述式の今でいう論文型式の答案を書かせ、採点する教員もしっかり中身を読んで審査するところもあった。このようなタイプの入学試験はある意味「正解」がない試験なので、技術としての勉強や努力で良い点を取ることは難しく、発想や理解そのものを評価するものであったということができる。

いわゆる「奇問・難問」の類であり、正解がない以上いかに勉強してもそれだけで合格することは難しい。このため、必死に勉強こそしているものの、何年も浪人を繰り返す羽目になる「万年予備校生」が発生していたのもこの時代の風物詩である。この時代においてはこういう入試システムゆえ、高偏差値の大学においても、勉強ができる秀才が多いのはもちろんだが、地頭の良い学生も一定数存在した。

しかし、規制緩和で大学が増え、大学進学率も50%を越すようになった1980年代以降は、そんな悠長な試験などする余裕がなくなりマークシート方式など機械でも採点できるような「正解」を問う形式が中心となった。共通一次の実施が、そのメルクマールであろう。これとともに、逆にきちんと勉強して正解を回答し、満点を取るタイプの秀才が「高偏差値」の主流として評価されるようになった。

この両者は、どちらが良い悪い、上だ下だというような比較の対象ではない。要は根本的に人間のタイプが違うというだけである。その分、適性も異なってくる。組織内においては、適材適所でその能力を活かせるポジションに付ければ、それぞれ活用法はある。それぞれ持ち前の能力が発揮できるポジションを与え、その成果が評価に繋がるように使えば、それぞれの能力が活きてくる。

問題は、いつも主張しているように「秀才」は自己責任での決断が必要となるリーダーには適性がない点である。しかし、高偏差値の秀才を重用するような気風が生まれてくると、年功序列の日本型組織においては、こういう人達を「モノを考えなくてはいけない」ポジションに付けるようになってしまう。高偏差値の秀才を「キャリア組」として重用した官僚組織がその典型だが、大企業などでも同様の宿痾はしばしば見られる。

ここに、日本の組織の不幸が生まれた。「追い付き、追い越せ」といっても、「追い付く」までならベンチマークする相手さえいれば秀才はお手の物である。しかしそれではスリップストリーム走行と同じで、ぴったりくっついてゆくことはできでも永遠に「追い越す」ことはできない。端的に言えばマネしかできないからである。良いモノを安く作って高度成長することはできても、オリジナリティーの高いモノは日本の組織からは生まれない。

その結果が、バブル崩壊以降の日本経済の状況である。これは決して日本人が劣っているわけではなく、日本の組織が秀才を重用した成れの果てなのだ。世の中は21世紀になって情報社会の時代となり、そもそも経済活動に大組織を必要としない時代になっている。「秀才」はAIの時代には付加価値の無い存在になるし、これを機会に明治以来の秀才重用から脱して、人間を地頭だけで評価するようにするのがいい。それがグローバルな標準になっているのだから。

(22/06/10)

(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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