情報社会の歩き方





前にも取り上げたように、産業社会の段階においては「人は見た目が9割」でひとまず外見で属性が判断されるところに特徴があった。これは大衆社会時代の到来とともに、それまでの階級社会のように、接する人は全て「面が割れた」既知の人だけで毎日が送られていくのではなく、常に初対面の未知の人を相手に社会生活を送って行く必要が生まれたため、そういう世の中を渡って行くための技術として必然的に生まれたノウハウである。

社会的記号としての「見た目」が常識化され共有されていたからこそ、外見で属性を判断できた。だからこそ見た目が「怪しいヤツ」に対する職務質問を行えば、何らかの問題が見つかることが多く、犯罪者やその予備軍の検出には有効だった。また内面が伴わなくともそれらしく「社会的記号」化されたファッションを纏えば、「そういう人なんだろう」と判断してもらえた。そう思ってもらうために、ファッションが流行したとも言える。

1970年代末から80年代初めに大流行した、黄色いワーゲンビートルにサーフボードを載っけて青山や原宿を走り回る、サーフィンのできない「陸サーファー」などその典型といえる。それは言い換えれば、他人からはある一面しか見えないので、内面はいくらでも誤魔化すことができたということである。実際、相手によって言い方や態度を変えることで、多様な相手とウマくワタりを付ける世渡り術もけっこう行われていた。

というより、見栄や知ったかぶりで格好を付ける輩の何と多かったことか。学歴詐称や資格詐称は日常茶飯事。有名人の誰それと知り合いだとか遠縁の親戚だとか言いふらすヤツもよくいた。その道のプロからすればそんな偽装などすぐ見破れるのだが、一般の素人からするとその違いを見分けるだけの知識も眼力もないので、なんかスゴい人なのかと思ってしまう。それでちやほやされたりすれば、さらに偽装に偽装を重ねることとなる。これじゃほとんど詐欺師だ。

インターネットが普及し出した当初は、こういう詐欺師もけっこう横行していたし、今でもそこそこいる。全く不発に終わってしまった音声SNSサービス「clubhouse」が登場した当初は、パブリシティーのサクラとして雇われたタレントやセレブの周りにデジタル時代の詐欺師である「意識高い系」の人が集まっていたのも懐かしい。パソコン通信の頃から、ツイッターに至るまで、難しい用語で周りを煙に巻こうとする「虚言癖野郎」は跡を絶えない。

しかし情報社会が進化するにつれて、産業社会のようにそうは問屋が卸さなくなる。ウソはどんなにうまく誤魔化しても、すぐにばれるのだ。過去の発言は、ブロックチェーンではないがネット上のどこかに魚拓化されて残っており、掘り起こそうと思えば容易に掘り起こせる。小難しい専門用語と難解な理屈で誤魔化そうと思っても、その「正解」とも言える情報は、誰でも確実に入手できてしまう。

賛成派のAさんには賛成だといい、反対派のBさんには反対だということで、それぞれに良い顔をすることは、産業社会ならば平然と行われていたし、バレることもなかった。しかし、情報化が進んだ世の中では、エビデンスの突合が容易に行える。どこで何を言っているのかは、調べればわかってしまう。矛盾したことを言っていれば、その証拠は一目瞭然だ。左翼・リベラルが陥る「ブーメラン」も、社会の情報化が発言の矛盾を突きつけれ来るからこそ起こったことである。

もちろん、相手がその手間をかけなければ、運よくバレないこともあるだろう。しかし、一旦疑われたらキリがなくなる。そして、決して逃げられない。そして、ボランティア的にそのリテラシーの高さを利用して、その矛盾点を暴きだしてくれる人もネット上にはけっこう多い。これこそ既存のマスメディアにはないジャーナリスティックな視点だ。このあたりの掟がわかっていない人が、SNSなどで適当な発言を連発して、あとあとその落とし前を迫られることになる。

情報社会では、誠実であることが今まで以上に求められるし、常に自分に誠実であるならば、何も問題は起きない。これで困るのが、表面上の顔を取り繕うだけで生きて来た人達だ。その典型が、先ほど例に挙げた左翼・リベラルであろう。彼等は常にタテマエとして「正しい」ことしか言わない。自分が責任を取るのがいやなので、自分のホンネをさらけ出して叩かれることで傷つくのをことさら避けるからだ。

その分、誰にでも口当たりのいいリップサービスをしまくる。そうすると、相手によっては矛盾することを言うことになる。たとえば何でも政府に反対している人達は、政府の政策自体が時代の変化を反映して180゜変わっても、そのどちらにも反対する意見を主張してしまう。これがテンポラリーで消えてしまう産業社会時代の発言なら誤魔化せるが、情報社会ではそうは行かない。過去の自分がデジタルタトゥーで永遠に残る。

それは最初から誤魔化そうと思っているからこそ引き起こされる問題である。情報社会では、そういう態度は通用しないのだ。常に自分の意見に素直に、肚をくくって一貫したホンネを主張し続ける。これこそが、情報社会の正しい歩き方である。自分の意見を持てない人、肚をくくれるだけの責任感のない人。そういう人もいるだろうが、ボロが出たり叩かれたりしないためには、何も主張しないのが一番。主張する内容がないのだから、おとなしくしていたまえ。情報社会は恐ろしいところだぞ。



(22/07/22)

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