アメリカの強み その2





アメリカをアメリカとして成り立たせているもう一つの大きな特徴は、離散的な大陸国家であるアメリカを一つの国として成り立たせる基本となっている、アメリカン・ビジネス的な人間関係の構築を基本とした社会構造である。アメリカは広すぎて、長らく人を知ることも、その人の情報を集めることも不可能であった。それで社会を成り立たせるには「相手を信用せずとも人間関係を構築できる」ための方法論が必要となる。

古今東西、それが善意か悪意かを問わずとも、自分を客観的に認識できない人間は多い。大したコトないのに、自分は優秀でスゴいと思い込んでいる人はどの社会でも一定数存在する。その一方で、かなり客観的に自分を把握している人も相当数いる。これを識別することが組織的な人間の活用には絶対的に必要となる。日本の戦後の労働法制だと、一旦雇い入れた人間がヤバくても容易にはクビにできない。従って、日本では思い込みが強すぎて自分を客観的に捉えられない人間は、出来るだけ採用しないようにすることになる。

このためどうしても採用に慎重になり、過去の経歴に基づく実績主義か、新卒を採って自前で教育するか、どちらかになってしまう。これが、日本で人材が育たない最大の癌である。アメリカはこの点が優れているのだ。ひとまず雇ってみて、ダメならクビにすればいい。吹きまくってる野郎は、ひとまずやらせてみて、それで結果が出ないのを確認してからクビにするだけだ。期待通り以上のパフォーマンスを上げた人材なら、そのまま雇い続ければいい。やらせてみて実績がでているのだから、極めて客観的だ。

このやり方が取れる限り、採用面接のような求人側による事前の評価は必要なく、お試し的にやらせてみて、その結果を見てから判断できる。試験にしろ面接にしろ、実際のパフォーマンスの結果とは違う軸で評価しなくてはならない以上、外れも多いしリスクも多い。本当に採りたかった人材を見抜くには相当な「人を見る目」が要求されるし、そのような眼力をもっている人は極めて少ない。結果、当り障りのない人材を採用してリスクを避けることになる。

それに対し、実際にやらせてみてその結果で評価するというのは、機会の平等を実現しているし、前回述べたような意味で極めてフェアである。このようなやり方が定着したのはは、そもそもアメリカの開拓時代とかゴールドラッシュの頃などにおいては、誰もが互いにどこの馬の骨とも知れないような見ず知らずの相手と組んで何かをやるしかなかったからだ。ひとまず一緒にやってみて、その上で使えるヤツを見つけるという積み重ねの中から出てきたものである。

相手を評価したり、ましてや信じたりしていなくとも、ひとまずやってみて、それでウマく行けば半信半疑なままでも次のステップに行けばいいし、ダメならそいつとはオサラバすればそれっきりで済んでしまう。極めて合理的だし、腐れ縁もない。さらに万が一の偶然の可能性も担保できる。このポイントは「ダメならすぐクビにできる」ところにある。結果が全てという意味では、求人側からも求職側からも透明性がありフェアな仕組みになっている。

ある意味、ヨーロッパにおいても古くから貴族社会の伝統があり、既知の相手との関係性の中から信用を背負ってゆくというやり方があったし、日本においても経済と市民文化が発展した江戸時代に、社会的な評判を前提にした評価のやり方が定着した。しかし、このアメリカならではの刹那的な関係性は、極めてチャンスを生み出す可能性を秘めていた。「ひとまずやらせてみせて、評価はその結果次第」というやり方は社会の平等をもたらす。

過去の経験に関わらず誰にもチャンスが開かれているという意味では、隠れた才能を見つけ出すことにも繋がる。その一方で名声や実績ではなく、目の前でやったことを評価するという意味では、評価する側の眼力も試されることになる。ボンクラを見抜けなかったのは、見抜けなかったほうの自己責任ということになる。そうならないためにも、逸材をしっかり見出す眼力を鍛えなくてはいけないし、そういう眼力のある雇用主のところには人材が集まることになる。

この精神の基本は、ピルグリム・ファーザーズのピューリタンから続くプロテスタンティズムにある。「In God We Trust」の神と個の契約が社会のベースとなっている以上、ひとまず「神の前で平等」であるため、まずはやらせてみる。その上で結果は人が判断するものなので、「人の前で平等でない」以上、だめならそれはアウトと判定できる。それを納得して受け入れられる価値観が共有されているからこそ、この強みが発揮されるのだ。

皮肉なことに、戦後の日本の労働法制を作ったのは米軍を中心とする進駐軍である。アメリカ自身がこの強みをよく知っているからこそ、日本においては容易に解雇できないようながんじがらめの労働法制をつくれば、日本の競争力を大きく割くことができると考えたのではないかと思ってしまう。極めて周到な占領政策である。確かにアメリカは実際の戦闘以上に、その後の日本の占領戦略について検討しつくしていたので、さもありなんというところだろうか。



(22/08/12)

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