戦略家の時代





明治中期以降、20世紀に入ってからの日本の問題は、組織が戦略を立て、それに基づいて行動できないというところにある。とはいえファウンダーやオーナーがいる企業では、リーダーシップに基づいて戦略的に経営を行い、グローバルレベルで活躍している事例も多い。従って、日本人がリーダーシップを取れないという能力的な問題があるわけではないことは理解できる。問題は、日本の多くの組織ではなぜそれができていないかという構造面にあるのだ。

それには、この問題が顕著になったのが20世紀に入ってからという点に着目する必要がある。20世紀に入ってから起こった日本社会の構造的変化には、大きく二つのポイントがある。それは一つには明治維新以降の教育制度の改革が実を結んで、組織のマネジメントを近代教育制度で育った人材が行うようになったこと。もう一つは世界的な大衆社会化の波が日本にも押し寄せ、それまでの江戸時代から続く階級社会の構造にひびが入りだしたことである。

前者については、明治前半においては「坂の上の雲」ではないが、江戸時代に武士的な教育を受け、封建社会におけるリーダーシップを叩きこまれていた人材がリーダーとなりマネジメントを行っていた状況から、学校教育で育てられた「秀才エリート」がリーダーとなるように変化した点が大きい。江戸時代の武士的教育は有責任階級としてのリーダーの身の処し方に関するものも多く含まれ、知識のみならず心構えや人品の在り方に及ぶものであった。

その一方で近代教育においては、西欧列強に「追い付き追い越せ」とばかりに、西欧の先端的な技術やノウハウを覚えることが主眼となり、先進的な知識の詰め込みが中心となった。当然教育カリキュラムも当初はお雇い外国人を教員に起用したように、最新の知識を覚えることに最適化したものとなった。そこでは、人間性やリーダーシップを育てるような教育は行われず、それは各個人レベルの問題として片付けられた。

もしも階級社会が続いていたなら、リーダーたる有責任階級出身者は、子供のころから「肚をくくって、責任を取る」リーダーとしての心構えを叩き込まれてきているので、それなりにリーダーシップを取ることが出来たであろう。ここで問題になるのが第二の構造変化である大衆社会化である。秀才の選抜が偏差値的な試験の点数しか基準としない以上、大衆社会化が進めば、無責任階級の大衆出身の「秀才エリート」が多くなることになる。そして、彼等はリーダーシップの何たるかを知らずに大人になっている。

大衆出身の秀才エリートは、人徳や人の道といったリーダーが持つべき道徳心とは関係ないところで育ち、全てを自分が勉強した知識を元に、演繹的な思考で物事を判断するところに特徴がある。ここに問題が発生する。そもそも演繹的な思考からは戦略は立案できないのだ。組織のリーダーが個人として肚をくくって責任を取るからこそ戦略たり得るのであり、元々「他人事」である知識を組み合わせたブレーンワークからは戦略は生まれてこない。

秀才エリートが跋扈した組織の弊害は、戦前の帝国陸海軍の構造的問題が如実に示してくれる。元来「戦略」最も重要視される軍隊であるにもかかわらず、実態が官僚組織だった旧軍は、対症療法的な戦術にこそ長けていたものの、戦略的思考が組織的にはできないまま(ある意味日本社会や日本的組織の縮図だった陸軍には、全員が官僚的発想だった海軍とは違い、それなりに戦略的思考ができる幹部もいたが、組織内で重用されなかった)惨憺たる敗戦を迎えることになった。この経緯は野中郁次郎先生の名著「失敗の本質」に詳しい。

戦略とは言っても「平時の戦略」ならば前例踏襲型で無難にマトメることができる。官僚としてきっちり予算を確保できれば、それなりに評価されるからだ。しかし、有事に求められる戦略はレベルが違う。全てが「想定外」の事態であり、それに対しての中長期的視点に立った的確な対応、すなわち全体最適が求められる。戦術的な部分最適では歯が立たない。その立案のためには無から有を生み出す創造性が必須である。

こういう構造があるからこそ、軍隊においては秀才エリートは平時こそリーダーを務めることができるかもしれないが、有事のリーダーたることはできない。組織論的に米軍のスゴいところはたくさんあるが、その中でも平時と有事でリーダーを入れ替える発想は特筆すべきだろう。平時においてこそ、予算や人員といった「利権」を確保し議会を通す官僚的な秀才エリート的な出世するが、いざ有事となると真の意味でリーダーシップを取れる人材と総入れ替えしてしまう。

戦前の帝国陸海軍は基本的には官僚組織であり、秀才エリートだけが跋扈する世界であった。全体最適を図ろうにも、全体を見通した権限を持っているリーダーはいない(天皇の統帥権という「絵に描いた餅」はあったが、大日本帝国憲法の規定上天皇自身は政治的判断はできない。その憲法の規定を天皇自身が破った226事件の収拾策とポツダム宣言の受諾だけが、官僚集団としての軍部の暴走を止められた事実を重く受け止めるべきだ)。当然、こういうダイナミックな組織運営は不可能である。

きな臭くなっていても、基本的にはまだ平時であった1930年代においては、そ官僚でもれなりの戦略性は持つことができた。その内容や世界情勢の認識も、列強諸外国の中長期戦略と比べても、決して荒唐無稽だったり精神主義に凝り固まっているものではなかった。それは、論理的に想定可能な範囲で世界情勢が進んでいたからだ。だからこそ、日本も1930年代は軍需景気で一貫してGDPは伸びており、景気自体は右肩上がりであった。

だが、ナチスドイツが対ソ戦を始めて以降は、世界は有事になった。しかし、この時点で日本には「有事の戦略」を策定できるカリスマ的リーダーはいなかった。この結果、軍部においては官僚組織の悪い面が表に現れ、戦略的に先手を取ることができず、世界情勢に引きずられながら何も決められずに泥沼に入っていくことになる。この構造は、戦後の日本の組織も全く変わっていない。高度成長という戦略が要らない状況下だからこそ、企業も行政もなんとか回っていたに過ぎない。

21世紀の情報社会においては、人間の役割はすでに何度も述べているように、「肚をくくって責任を取り、戦略的にリーダーシップを取る」ことである。秀才エリート的な役割は、AIに代表されるコンピュータシステムに任せればいい。これからの時代、世界の中で日本が足元を掬われるリスクがあるとするならば、それは間違いなくこの「リーダーシップの欠如」である。間違いなく人材はいる。だから、秀才エリートの重用をヤメさえすればい道は開けるのだ。



(22/09/16)

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