Gifted





才能とは、神から与えられた財産であり使命である。キリスト教に代表される一神教のアブラハム宗教の社会では、神により才能を与えられた「天才」は、神から人間への贈り物であり、人間社会を幸福にする存在として捉えやすい。だからこそ、「In God We Trust」が公式の国家標語となり大統領就任式では聖書に手を置き宣誓するアメリカ合衆国のようにキリスト教が社会の基盤となっている欧米系の社会では、天才を敬うし、社会的に大切に扱う傾向が強い。

その一方で、八百万の神の日本では唯一絶対な価値基準がない。山にも川にも林にも神が宿っているので、人口より神の方が多いくらいである。おかげで信じる神自体が都合により変わってしまう。唯一絶対の神がいて、それが与えてくれた才能などという概念が生まれるわけがない。日本が能天気な悪平等社会になる原因である。それでも現実として人によるパフォーマンスの差があることは歴然なので、能力差があることは認めるが、その質的評価ができない。

従って、天才も秀才も十把一絡で認識し「他より優秀な人」という視点しか持てない。それどころか「出る杭は打たれる」で、悪平等を貫徹すべく、優秀な人の足を引っ張るということもしばしば行われている。すでに何度も論じているように、21世紀の情報社会において人間に求められる役割は「天才的ヒラメキ」に他ならない。そのためには天才を探し出し重用する社会を構築する必要がある。とりもなおさず情報社会における日本社会の最大の弱点がここにある。

プロテスタンティズムがベースにあるアメリカには、Giftedな人を人類の宝として大切にする考え方がある。このGiftedとUn-Giftedの峻別こそ、情報社会に向かう20世紀終盤のIT革命において、アメリカが世界の主導権を握れた原動力である。ここで重要なのは、元の考え方こそ一神教の神の思し召しではあるが、異教徒であっても才能のある人は重視し重用する点である。異教徒であっても神はGiftedな人材を生み出すことがあるが、それが最終的にアメリカで活躍するよう運命付けるのもまた神の思し召しなのだ。

アメリカのメジャーリーグに世界中からスゴい野球選手が集まる理由もそこにある。そこでは、その才能をどれだけ活かせる環境を作れるかがワザの見せ所となる。オールスター戦における大谷選手のように、その才能を活かすためにルールそのものを変えてしまうようなことも当然のように行われる。そしてそれが当たり前のことだとファンからも広く支持される環境を作り出していることこそ、この「天才は神の思し召し」という共通理解があればこそである。

日本の企業の多くがコスパのいい製品の輸出で「世界の工場」にはなれても、ごく一部の企業を除いてグローバルな企業とはなれなかった理由もこれだ。すなわち、能天気な悪平等意識が染み付いた日本の組織では、天才を見抜いて人類の宝として大切に扱えないからある。個人というレベルでは、日本人が決して能力的に劣っているわけではない。天才の出現率自体には有意な差はないはずである。実際、個人ベースで世界と契約する大リーガーやサッカー選手など、スポーツの分野では世界的なプレイヤーが大勢現れているではないか。

結局人材や才能を活かせないのは、日本の組織の問題である。オーナー企業なら、オーナーに人を見る眼力があれば、超抜擢人事もできるし、才能をフルに活かすことができる。しかし、知識だけでセンスや才能のない秀才エリートが跋扈する組織では、機械の歯車になって動く一方、私利私欲だけは聡い高級官僚タイプしか生き残れない。さしもの地方のガリ勉秀才ですら、ホンネとタテマエのあまりのギャップに、次々と霞ヶ関をやめて、外資系の金融機関等に転職する時代である。

根っこが日本の組織の構造的問題である以上、一朝一夕に改革できる問題ではない。ではどうしたらいいか。組織が天才を大切に扱えない以上、天才がその才能を社会的に活かすためには、自分で始めるしかない。かつてはそのためには、余程家が太いか、出資してくれるパトロンがいるか、どちらかしかチャンスはなかった。そしてそのチャンスに恵まれる人はそれほど多くなかった。とはいえ、ミュージシャンや役者ではけっこういたりする。

ところが、資金は空から降ってくる。経済のグローバル化が進んだので、海外の投資家が日本の才能に目を付けて事業化できる事例も増えてきた。ネットフリックスが日本でTV映画やアニメ映画を制作するようになり、日本で調達できる製作資金をはるかに凌ぐ資金調達ができるようになったことなど、そのいい事例だろう。その分、確実に日本の才能が世界で活躍する機会も増えたということができる。日本の才能にも、世界の目はフォーカスしている。

ならばまずは、才能があると自負する人は、組織から遠ざかり、「自分で始める」ことが一番である。そのための資金を調達する術は、社会の情報化とともに次々と生まれている。世界的な資金の流れが変わり、可能性のある天才に投資しようという動きが活発化している以上、これに乗らない手はない。そのためには、なにより具体的に動くことが大切だ。やれば、声はかかる。その分、やらなきゃチャンスは生まれない。



(22/10/07)

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