オープン&フラットの行き着くところ





情報社会の掟はさておき、情報システムの掟はオープン&フラットである。利用者に対しては、セキュリティーレベルの設定はさておき、システムの側からは分け隔てをしない。コンピュータシステムがベタなインフラとして社会に定着すればするほど、システムのユーザは社会の縮図、いや社会そのものとなってくる。SNSにおいては誰でもIDはとれるし(Botでも取れる)、IDを持てば対等の発言権を持つ。

マトモで冷静な意見を述べる人も、アホで思い付きの意見を述べる人も、書き込みとしては差がない。とはいえ、人間社会においては、きちんとした意見を持つ人、自分の考えを持つ人は絶対的に少数だ。多くの人は付和雷同したり、外野からヤジを飛ばすだけである。こういう構造の中で、誰もが対等の発言権を持ったらどうなるか。これが、10年代のUGMの世界である。スマホの普及により、UGMが誰でも使えるベタなインフラとなってから、ポピュリズムの世界になってしまった。

世の中の「理」を知らない人が(そっちの方が多い)、激情とお涙だけで善悪を判断する。まあ、そもそもそういうメンタリティーの人の方が世の中には多いし、仕事の経験からも「マス受けするコンテンツ」はそういうノリのものの方が多い。KKKの黒人リンチと変わらない世界がそこにある(「奇妙な果実」だ)。この結果、UGMは社会実験として人間社会の構造があぶり出した。それは「情報社会における民主主義の限界」である。

いままでの産業社会下の大衆社会における民主主義、すなわち議会制民主主義においては、人々は候補者を選ぶというプロセスでしか意思を表明できなかった。ところが、数を取らなくては当選できないという構造上、候補者はホンネはさておき、タテマエの政見は八方美人で口当たりのいい主張をせざるを得なかった。ある意味、議会制民主主義とは衣の下の鎧を隠した、タテマエ競争の世界であった。その中でホンネを発露したものがポピュリズムである。
v 極端なポピュリズムが発露したファシズムや共産主義の政権のみが、大衆のホンネを煽ったものの、政治は基本的にはタテマエに終始していたのだ。UGMの世界を見れば、誰もが平等な権利、対等な一票では、情報社会においては、ポピュリズム以上の情動政治になってしまう。安定した秩序と構造をもったサステナブルな社会を実現するには、別のやり方が必要となる。異質なみんなが同じSNSの上に載ってしまうからコンフリクトが起こるのであり、「甘え・無責任」な人はTwitter、「自立・自己責任」な人はFacebookとか棲み分ければいいのだ。

ここで思い出して欲しいのは、「コンピュータは、コンピュータの上下に人を作る」点である。そして、「激情とお涙だけで善悪を判断する」人は、ほぼ「コンピュータの下」に位置づけられる人と一致する。「甘え・無責任」で、自分が肚をくくって決断・行動することができない人は、他人依存症になり、強い権力に寄り添うことで楽に生きたがる。そして、そういう人は自分が責任を取らなくていいように、理知的な判断は避けて「激情とお涙だけで善悪を判断する」傾向が強いからだ。

であるならば、情報社会らしくコンピュータシステムを挟むように介在させる形で、自ら責任を取ってコンピュータシステムを含め社会をコントロールする人々と、「甘え・無責任」で社会やコンピュータシステムに隷従していたい人々とが、棲み分けてしまえばいいわけだ。この異質な両者が「対等な個」とされてフラットに扱われるところに、一人一票の議会制民主主義の問題点と限界があったわけだから、情報社会においてはこのようにコンピュータシステムが両者を分離してくれるように使うべきなのだ。

これはかつての貴族制階級社会を前提にした立憲君主国の政治制度に極めてよく似ている。国王をピボットとして、有責任階級としての貴族が自ら責任を負いながら実質的な政治主体となるが、その実体的な姿は一般庶民からは国王の向こう側となって直接は見えない。その一方で、庶民は公序良俗に反しない限りにおいて、自由気ままかつ無責任に生活できる。ある意味役割分担がはっきりしている分、「分」さえわきまえればハッピーな社会であった。

この「国王」の部分が、コンピュータシステムに変わるだけである。コンピュータシステムをピボットとして、有責任階級(コンピュータを使う人)と無責任階級(コンピュータに使われる人)が対峙しているが、それぞれのすがたは直接的には見えず、それぞれの領域においてはかなり気ままに生きてゆくことができる。これからの世の中を実り多いものにするためには、コンピュータリテラシー以上に、こういう「情報化社会にふさわしい社会制度」を取り入れ実現してゆくことが、何よりも重要なのだ。



(22/11/11)

(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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