自由と多様性を担保するもの





20世紀の産業社会においては、既存の体制や価値観に対抗するものの象徴として自由や多様性が捉えられ、リベラルであることを示す証となっていた。特に第二次世界大戦後に生まれたベビーブーマー(日本で「団塊の世代」)が社会人となって、生産でも消費でもその数をバックに存在感を現しはじめてきた1960年代中盤以降、彼等の生き方や考え方、物事の好みなどが、それまでの社会規範と異なるものであることが大きく注目された。

1969年にピーター・ドラッカーはこの状況を「断絶の時代」と称した。そのような若者たちの拠り所が、既存の体制や価値観に対抗するリベラリズムだったのは当然の成り行きといえる。1960年代末に西側先進国に広がった「若者革命(youthquake)」などは、その典型的な例だろう。ヒッピーカルチャー、フラワームーブメントなど、既存のエスタブリッシュされた「体制的価値観」に対するオルタナティブなカウンターカルチャーが若者の精神的支柱として広く支持された。

それはある意味、産業革命以降経済や生産のあり方は大きく変わったものの、人間社会の構造はそれについていけなかったものが、100年の時を経てついに鎌首を持ち上げたものということもできる。確かに旧体制の残渣が濃かったこの時代においては、リベラリズムがそれに対抗する武器だった。それゆえその時代の擦り込みが強い団塊世代には、今でも「反体制」がスタイリッシュだと思い込んでいる人が多い。それが今、左翼・革新政党の支持者は70代以上しかいない理由である。

しかし、社会の中心を占める労働人口が戦後生まれで占められるようになった90年代以降、19世紀以来の旧体制は一層されるとともにリベラリズムが自由や多様性を担保する時代は終わった。その一方で、世紀の変わり目に新自由主義先進国の共通の基本政策となって以降、自由と多様性は市場原理が貫徹されることによってはじめて担保されるものであることが理解された。それを実証したのが、新自由主義とほぼ同時にグローバルなトレンドとなったマーケットのインタラクティブ化である。

インタラクティブなマーケットは、それ以前の物理的な流通チャネルに基づくマーケットとは異なり、特別な既得権や大きな資本を持たなくとも、誰でも容易に参入可能という特徴がある。従って、誰にでも同じようにチャンスとリスクがある原則的に市場原理が貫徹しやすいマーケットとなる。実際に市場原理が徹底しているインタラクティブビジネスのマーケットを見ると、巨大なショートヘッドの一方で、多種多様なロングテールが百花繚乱であることに気付くだろう。

この20年間のe-コマース市場の発展を見る限り、かつてのマスマーケットの時代のようなビッグヒットが生まれにくくなる一方、ロングテール市場の活性化には目を見張るものがある。「市場原理」というと、ボリュームゾーンのショートヘッドの取り合いにのみ関心が行きがちだ。だがそれはポーターの競争理論のように皆で同じ市場の覇権を取り合う産業社会の時代の考え方だ。産業社会の競争市場の発想でインタラクティブ・マーケットを渡り歩こうとするからそっちに関心が行ってしまう。

情報社会においては「量の勝負」だった産業社会とは異なり、コアなターゲットに深く刺さる「質の勝負」がローコストでできるところが特徴である。確かに古くからマニア向けのマーケットはあるが、それは骨董品コレクター向けのオークションのように、極めて高コストで高価な商品でしか成り立たない。その一方でインタラクティブ・マーケットなら、世界に散在するマニアをネットワークして、低いコストでマーケットを成立させることができる。

実はインタラクティブ・マーケットにおいては、この多種多様に広がるロングテールにこそ特徴がある。まさに市場原理・競争原理が徹底したからこそ、小さくまとまったロングテールのマーケットも成り立つようになり、数多くの小規模なマーケットが競うがごとく花開くようになったのだ。この10年で世界的にオタク・マーケットが花開きだしたのも、このインタラクティブ・マーケットの持つ特性と無縁ではない。このように、市場原理・競争原理が機能するためには、自由と多様性がなにより重要なのである。

こう見てゆけば、昨今の世の中の変化もよく判るはずだ。右だ左だというイデオロギー的な問題は、今や全く意味をなさない。そういう主張は、現実を見ていないアナクロな人間だということを示しているだけである。全体主義・権威主義的で画一性を求める人か、自由主義・市場主義で多様性を求める人か、これだけの違いでしかない。そして自由と多様性を担保するのは市場主義しかない。ただ、市場主義を前提に自由と多様性を担保するには、自己責任で行動することが求められる。これに対する適性も実は重要なファクターなのだが。



(22/12/02)

(c)2022 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


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