左翼の失敗





人心を的確に掌握することが、民主国家においては議会で多数派となり、与党となって政権を握るための最短かつ最適な手段である。これは民主主義の大原則であり、一部の全体主義的な強権国家を除けば、現代の国際社会においては最も一般的な政治の原則となっている。とはいえ、どうやって人心を掌握するかという戦術の部分は、時代や地域によって大きく異なり、これがいろいろな政治手法としてあらわれてくる。

太平洋戦争以降の七十数年に渡る日本の状況を見ても、産業社会の高度成長期と、成熟した安定成長の時代で大きな変化があるし、21世紀の情報社会化の中でさらに大きな変化を起こしつつある。人々が貧しくまだ飢えていた高度成長期は、今よりちょっとでもいい生活がしたいという人々の上昇志向が決めて強かった。その裏返しとして自分を実態より少しでもよく見せようという「見栄」が非常に強かった。その分、みんな身の丈以上に「背伸び」をしていた。

こういう状況下では、「蜘蛛の糸」ではないが上から目線で人々を啓蒙し導くというやり方が効果を持った。「より良い生活」を垣間見させて、そこへのあこがれで惹き付けようというものである。このような時代背景においては、「エリートが下々の民衆を救う」という左翼的な発想は、かなり効果を発揮していた。だがそれは人々の多くが「貧しく飢えていた」からこそ成り立ったものである。「溺れる者は藁をも縋る」で、「赤い貴族」を頼ったのだ。

このような戦術は20世紀前半においては先進国でもかなり当てはまった。日本においては敗戦後の経済混乱が続いた昭和20年代までは効果的だったと言えるだろう。その転換点は、まさに55年体制として左翼政党が反体制活動ではなく、体制内での利権獲得を政策目標としたときである。しかし、左翼政党の戦術は基本的に変わらず、エリートが上から目線で下々を救うというものであった。利権まみれの幹部が利権にしがみついたせいだろうが、これがその後の既成左翼のジリ貧化を生み出すことになった。

成熟した安定成長の時代になると、人々から見栄や背伸びといった発想が消え去ってしまう。社会的インフラも充実し、自分の生活もそれなりに安定してくると、あえて上を指向する人は少数派となる。こうなると啓蒙的な「上から目線」は効かないどころか拒否・反発されるようになる。上から目線で流行の押し付けをしてくる都心の百貨店が消費者からそっぽを向かれてしまったのはこれが理由だが、左翼は衰退した都心の百貨店のようなモノである。

見栄やあこがれがなくなった生活者にとっては、等身大で自分に寄り添ってきてくれるイオンモールこそ最も楽しい時間を過ごせるショッピング・プレイスである。1・2時間で行けるとはいえ、普段の自分とは違うモードで、わざわざ格好をつけて有料特急に乗って都心の百貨店に行くのは楽しい時間ではなく、疲れる時間になってしまった。ある部分左翼とよく似ている新興宗教がそれなりに勢力を維持しているのも、彼等が上から目線ではなく横から寄り添って接してくるからである。

同様の理由で、情報に飢えた庶民を上から目線で「啓蒙」しようという新聞も衰退した。情報はSNSのように、一次情報からユーザ自身が自分の好みで選ぶものとなった。マーケティングの世界のおいては、00年代からキャズムという考えかたが基本になった。電通でいう「ロードサイド族」博報堂の言う「マイルドヤンキー」こそが日本の消費の主流になり、都会の先端的生活にあこがれる人達は生活者のマジョリティーではなくなった。キャズムこそが、左翼の致命傷となりその命脈は断たれた。

結局は、社会の情報化と共に起こった、エスタブリッシュメントの衰退の一環である。左翼も既成権力構造のアンチテーゼとして存在していた以上、与党以上にエスタブリッシュメント化していたということだ。構造変化と共に社会的役割はもはやない。とはいえ思想信条の自由があるので左翼が政治活動を行うのは構わないが、せめて自分たちが絶滅危惧種の天然記念物だということは理解した上でやって欲しいものだ。



(22/12/16)

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