世紀末にビートルズ





今年に入って、ヒョンなことから「ビートルズ・アンソロジー」のビデオ版の安い出物を見つけ入手してから、個人的に妙なビートルズブームが起こっている。もちろん、ビートルズには大きい影響を受けたクチなので、アルバムは全部LPでもCDでも持っているが、定価4万なんぼのビデオ版アンソロジーを新譜で購入するほどのマニアではない。もちろんダイジェスト版のTVオンエアは見たが、その部分を除けば、ほとんどが今回はじめて見ることになる。で、一通り見てから、アルバム版のアンソロジーや、オリジナルレコーディングアルバムを、バージョン違いを解説したマニア書などを読みながら聞き比べている次第だ。

もちろん、アンソロジー自体が、ビートルマジックの裏を解説する企画である以上、至極まっとうな反応といえないこともないが、そうなってしまったのには理由がある。ビデオでもCDでアンソロジーシリーズを通して、ある事実が浮き彫りにされたからだ。それは予想以上に大きな、ジョージ・マーティンの存在だ。個人的にはビートルズファンであるのと同等、あるいはいくつかの部分ではそれ以上にジョージ・マーティンのファンである。ジョン・レノンがNo.1フェイバリットなのはいうまでもないが、次に気になるのがジョージ・マーティンだろう。

あの、スタジオの空気をそのままテイクに収め、「活きたアルバム」を創り出すテクニックは、ロックの歴史上特筆すべきものがある。ジェフ・ベックが初のギターインストアルバムでのチャート一位を達成した裏にも、プロデューサーたるジョージ・マーティンのマジックは生きていると思う。4人が「ビートルズ」になれたのは、間違いなくジョージ・マーティンの功績だし、彼がプロデュースから離れると共に、ビートルズはリアルタイムのバンドではなくなった。彼がいなければ「人気者のローカルバンド」は、世界の歴史に残る存在にはならなかったかもしれない。

そういう意味では、アンソロジー・シリーズはジョージ・マーティンのマジックを解き明かすシリーズだ。アウトテイクやデモテイクでつづったこの作品は、ビートルズのアルバムと考えると、至って歪んだもの、マニア向けのものということになる。しかしプロデューサー・ジョージ・マーティンの作品と考えれば、まさに合点が行く。人気ライブバンドから世界一のビッグなバンドへと脱皮していった前半期。アルバムを作るスタジオバンドという新たな世界を開拓した後半期。それぞれにプロデューサーとして彼が何を考え、なにを引っ張りだし、なにを残していったのか。それを見事に語っている。

実際、彼はこのあと程なく引退を表明して、音楽界を去ってしまう。そこまで含めて、自叙伝というか遺言というか、今だからすべてを語るというがごとくに、手の内をわかるヒトには見えるようなカタチでさらけ出しているのだろう。実際、テイクの選び方、Okの出し方には、すごいマジックが秘められているのだが、アンソロジーのテイクと、オリジナルテイクをよーく聞き比べると、その辺がだんだんわかってくる気もする。とはいえ、そう簡単にできる代物ではないが、オリジナルテイクだけ聞いていたのではではわからなかった秘密は、確実に感じとれる。プロデュースの何たるかを知るためには、最高の教科書だろう。

さて、ヴィデオのアンソロジーシリーズからは、もう一つ新たな視点を得ることができる。それはこと日本のファン、それもリアルタイムでビートルズ体験を持つファンが陥りがちなパラドックスの呪縛からの解放をもたらすことだ。今から考えれば当たり前なのだが、リヴォルバーの出た66年はクリームが登場し、サージェントペパーズの出た67年にはジミヘンが登場している。そしてクリームに至っては、ホワイトアルバムと相前後して、ビートルズより早く活動停止、解散しているのだ。しかし、当時の時間的感覚はちょっと違う。

66年には、日本の洋楽ファンはリヴォルバーは知っていたし、持っていたが、クリームのくの字も知らなかった。同じく、67年夏には、ごく一部のコアで先進的ななロックフリーク以外は、ジミヘンは知らなかった。これら、当時「アートロック・ニューロック」と呼ばれた音楽は、先駆的にも67年末、基本的には68年になって一気に日本でブレイクした。ここに1年半の時間差がある。日本の青少年は、欧米で起こりつつあったロックレヴォリューションは、ビートルズを通して最初に知った。しかしそれは実態とは違う。彼らがかなり初期から新しい取り組みをはかっていたことは確かだが、決して最初ではない。

ここにボタンのかけ違いがあった。日本のファンからみれば、ビートルズがまずロックリヴォリューションに鍬を入れ、あとからブルースロッカー達がついてきたように見える。しかし実際は、そういう新しい音楽の波が現れてくるまっただ中で、苦闘し、悩み、同時的に新たなスタイルを築いていたというのが正解だろう。これがわかってはじめて、68年以降、ロックが確立してからのビートルズがダッチロールを繰り返さざるを得なかったのか理解することができる。

昔は一生手の届かないと思われたところにいた、クラプトンも、ミックジャガーも、何度も来日するうちに、雲の上の神の域から、手を伸ばせばなんとか尾っぽがつかめそうな人間の域に降りてきた。それは、日本のミュージックシーンの成長、レベルアップの賜物でもある。解散してしまった上に、ジョンがこの世を去った今となっては、そういうチャンスのありえないビートルズだが、アンソロジーはそれを可能にしてくれた。これでジョンが背中に背負っていた重荷も、少しは軽くなったのだろうか。

(00/02/04)

(c)2000 FUJII Yoshihiko


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