左翼と暴力





かつて昭和の時代、インテリが左翼に惹かれた理由の一つとしてエンゲルスが共産主義思想の中に持ち込んだ暴力性を指摘することができるだろう。団塊世代などは、食うためには人殺しも厭わなかったまだ日本が貧しい戦後の経済混乱の時代に育ったので、性格の根っこのところに暴力指向があり、それが老化と共に理性で抑えられなくなり結果として「キレる爺さん」が発生する。ということは、この世代ではインテリの中にも暴力志向が強い人はけっこういることは間違いない。

学生運動が盛んだった70年代当時は、ヤクザ映画全盛の時代でもあった。そして新左翼の活動家はヤクザ映画が大好きな人が多く、その暴力シーンに熱中し入れ込んだものだ。この辺からも左翼インテリに暴力指向があったことは見て取れる。もともと腕っ節一本で生きてきた人なら、ストレートに暴力的になれるのだが、インテリは概してヤサ男が多いので、如何に暴力指向が強いからといってもガチでは腕力に走れない。ここが彼等にとっての悩みの種であった。

しかしインテリは得意の理屈でこの壁を超える。エンゲルスが政治活動の道具として共産主義の中にビルトインした暴力性を、彼等は見逃さなかった。左翼思想には「造反有理」のように、理屈をつけた暴力というスキームが存在する。腕力だけでなく理屈も暴力のための手段として活用する手法である。これならば、腕力に劣っていても理屈との掛け合わせで勝てる可能性がある。だからこそ、彼等は社会主義思想・共産主義思想に惹かれていったと言っても間違いではない。

本来の理念としての社会主義思想とは関係なく、権力収奪のための政治的な手段としてエンゲルスが共産主義の中に持ち込んだのが暴力性である。しかし、これが思わぬアピール力を発揮してしまった。活動家としてのエンゲルスが、社会主義を単なる政治的アジテーションに貶めてしまった以上に、この「暴力と左翼の結合」というのは一部の嗜好を持つ人にとっては魅力的であり、その後の歴史に対して極めて大きな影響を与えたということができる。

60年代末から70年代初頭の新左翼の「学生運動」も、その実態を生で見た者ならばわかるだろうと思うが、中身は決して政治的理念を追求したり社会の変革を求める政治的な活動ではない。暴力で暴れてスカッとしたいがために、暴力好きな連中がその暴力を正当化できる枠組みとして左翼思想を選んだだけのことなのだ。当時は街頭活動は「ゲバルト」などと呼ばれたが、まさにドイツ語での「暴力」。暴れまくっていろいろなモノをぶち壊す快感に浸ってストレス解消したかっただけなのだ。

だから彼等はマトモに議論する気などサラサラない。議論もまた言葉の暴力合戦に過ぎないからだ。何か建設的な結論に導くのではなく、相手を論破して撃破することが目的となる。ロジカルに論破できなくても、言葉の威圧感で相手を圧倒してしまえばそれで自分の勝ち。もともと暴力としての議論なのだから、相手を殲滅してしまえばそれでいいのである。とはいえ、これが成り立つのは「造反有理」の本家である「紅衛兵」のようにマスヒステリーで数の力を味方に付けた時だけである。

昭和の時代においては、ドラッカーが「断絶の時代」と呼んだように、古い価値観と新しい価値観が世代間で対立しているのが基本であった。これは戦後になってグローバルに社会的スキームが変化したため、それ以前の価値観の刷り込みで生きている世代と、新しい価値観を身に付けた世代とがことごとく対立したためである。こういう時代背景があったからこそ、既存の価値観のスキームをぶち壊したいという若い人がどんどん増えだし、古い価値観を暴力的に打ち壊すこともある程度広く支持されたのだ。

しかしそれも今は昔。20世紀の末までには70年代当時の「新しい価値観」が社会全体の基本となり常識となった。こうなるともはや暴力的に古い価値観をブチ壊す必要性などなくなる。それはまた、左翼の暴力を正当化する「数の力」が得られなくなってしまうことを意味する。かくして左翼は世間から浮いた「おメデタすぎる存在」になってしまったのだ。かつて筒井康隆氏は学生運動の絶頂期に怪作「90年安保の全学連」で左翼の絶滅危惧種化を描いた。実際には高齢化社会らしくその後20年も生き延びることになったのだが。



(23/04/21)

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