限りなき日常のコンテンツ





日常をダラっと流して共感する。これはまさに21世紀的なエンタテインメントの特徴だろう。SNSなどで人気のコンテンツには、ハイレベルな才能やセンスを持つ作者が制作した映像や画像コンテンツも多いが、まさに自分達の日常の延長として捉えられる素人が自分の生活を単に切り取ってきただけというものもかなりある。かつての言い方だと「まったりとした」、そういうコンテンツもそれなりに生活時間の中でシェアを持ち、いろいろな面で影響を与えるようになってきた。

古く昭和の時代はもちろん、90年代から00年代頃までは、映像コンテンツといえばスゴい非日常的な大作ほど人気を呼んでいた。その頃はまだ制作プロセスもアナログで、大作を作るには莫大な制作コストがかかった時代でもあった。このためエンタテインメント・コンテンツを制作するには極めて大量の資金が必要とされるのが常識だった。そして、大きな資金を投入した作品が世界的に大ヒットすれば、そこから巨額のリクープが得られる。

このためエンタテインメントの世界は金が金を呼ぶ世界となり、映画においては圧倒的な資金を投入して作った夢のような映像が人々を惹きつけ、音楽においてはスーパースターの金と時間を掛けまくった高質な作品がミリオンセラーとなった。この時代の記憶が鮮烈な人も多いだけに、エンタテインメント業界といえば湯水のように金が湧く華やかな世界というイメージを持っている人も多いだろう。しかしそれは過去の話。21世紀のデジタルの時代になると状況は一変した。

その先駆的な例は音楽業界に見ることができる。かつて80年代から90年代初め頃までは、音楽の演奏は基本的にミュージシャンが実際にスタジオで演奏するものだった。マルチトラックができた70年代以降、それ以前のように大きなスタジオにリズム隊からホーン・ストリングスまで全員集合して録音する「一発録り」こそ(美空ひばりさんのような一部のベテラン大御所歌手を例外として)なくなったものの、実際に演奏されたものを録音するのが音源の基本だった。

80年代半ばにはMIDI規格によるシーケンサソフトやサンプリングドラムマシンなど、ディジタル化された音楽機材が導入さ使用されるようになった。それらを活用したテクノミュージックやディスコミュージック(のちのEDM)もヒットチャートをにぎわすようになった。とはいえ、その音源はやはり既存のレコーディングスタジオにコンピュータ機材を持ち込み、生演奏の録音と同じようにしてマルチトラックのマスターテープに録音したものが元になっていた。

その後スタジオ機材やマルチトラックレコーダーもディジタル化されたが、その時点でも音源はスタジオで創られるものだった。これが決定的に変化したのはDTMの登場である。すなわちパソコンをレコーディング機材として使用し、スタジオ機材やマルチトラックレコーダーを使ってレコーディングスタジオで行っていた作業を、DAWとしてデジタルデータのままパソコンの中で完結できるようになった。(コンピュータミュージックが登場した時からDTMという言葉はあったが、この時点で意味が変化した)。

すでに80年代後半から、カラオケをはじめデモテープやジングル・CM音楽など比較的ロークォリティーでもよい音源については、MIDIシーケンサやディジタルシンセサイザーの活用により、それまでの生演奏で制作していた時代に比べてコストが一桁下がっていた。しかしDTMの登場により、CDやストリーミングで「販売」されるクォリティーの音源も、それと同じようなローコストで制作できるようになった。

それまでも民生用のマルチトラッカーを利用したアマチュアの「宅録」は行われていたが、そのレベルのコストでプロの音源ができるようになったのだ。この結果音楽ビジネスに起こったことは大きく分けて二つ。一つは音楽ビジネスがそれほど資金を必要としないビジネスモデルに変化したこと。それを承ける形でプロとアマの垣根が溶解し、「地下アイドル」のようなスキ間産業的なビジネスモデルが発生し定着したことである。

これは遅れて映像の分野でも起こり始めた。スマホやドローンなど、廉価だが高度な撮影も可能な映像デバイスが普及価格で手に入るようになると、映像を作ることができる人達は大きな資金を調達できる映像ビジネスに関わる人だけではなくなった。ペットの猫のカワいい表情の映像がバズるのなどが典型的だが、アマチュアが偶然撮った決定的シーンは、まさに一発屋としてどんなプロが演出したシーンよりインパクトがあったりする。

それと同時にキャズム化が起こり、上から目線より横から目線の方により人々が共感を感じるように変化したことも大きい。この変化により、人々は私にもあるかもしれない日常の中の一瞬を共有することが、非日常的な途方もない感動以上に心の共鳴を呼び起こすようになった。まさにSNSの動画などはこの心の琴線を揺らすことでバズることになる。テーマパーク的な体験とは違う種類の、情報社会ならではのブームということができる。

もちろん今でも大作エンタテインメントはあるしヒットしている。質の違う二種類のコンテンツが併存し、それぞれの局面で人々の楽しみを生み出しているのは間違いない。これはキャズム化と深い関係がある以上、やはり「コンピュータを使う人」と「コンピュータに使われる人」との「新階級社会」特有の現象と言える。すなわち限りなき日常を生きる「コンピュータ以下」の人達と、常に非日常を追い求めて創り出す「コンピュータ以上」の人間との間で創り出すエンタテインメントの構造に違いが生じていることに起因するものである。



(23/04/28)

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