リスクヘッジ





ひとことでリスクヘッジと言っても、世の中ではその実態をきちんと理解している人は少ない。起こり得るリスクを避けること、非常事態が起きても被害を最小限に食い止めること、程度に思っている人が多いと思う。しかし、リスクと言うものは本質的に想定外だからこそリスクなのである。事前にそれを予測して対策とれるものはそもそもリスクではなく、想定内のトラブルである。想定内のトラブルであればこそ、よくあるクレーマーへの応対のように事前に想定問答集を作れば対応可能である。

BCPについて何度かここで議論した時にも触れたが、そういう想定外の事態が起きた時、その瞬間にその場でどうするかを判断することこそが、リスクヘッジなのである。しかし判断の主語となるものの違いにより、リスクヘッジのあり方も大きく異なってくる。高級官僚のような秀才エリートが考える「リスクヘッジ」は「危機になったらどうやって自分だけ逃げて助かるか」ということである。あくまでも主語は自分自身。言い方を変えれば「保身」しか考えていないということになる。

その一方で、企業家が考えるべき「リスクヘッジ」は、「危機になったらどうやって自分の属する会社やそのスキームを救うか」ということである。これは「被害やダメージを最小に留める」ことと「事後どのように復活を図るか」ということを同時に考えなくてはならない。このためには状況を的確かつ冷静に捉え、リアルタイムで打つべき手を次々と判断してゆくことが求められる。この二つを見比べても、平時から危機が起きた時のことを考えるというところはちょっと似ているかもしれないが、その目的が全く違う似て非なるものだ。

秀才エリートの方の「リスクヘッジ」は、いわば非常口や避難場所を綿密に調べておき火災や地震の際に一番安全な逃げ方をマスターしておくのと似ている。その分、かなりの部分を事前に考えておくことができる。また避難経路にたとえれば、非常口や非常階段を新設したり、火災報知器や消火器を設置したりという対応も可能である。だから、高級官僚達はみんな同じ逃げ道を事前に想定していることもある。こうなるとノーパンしゃぶしゃぶ事件ではないが、「皆が同じ逃げ道を取ったため混雑して逃げ遅れ一網打尽になる」ことも起こる。

これがウマくいけば、ヤバくなってくると蜘蛛の子を散らすように関係者が皆逃げ出し、逃げ遅れた者が人身御供として責任を取らされることになり椅子取りレースから脱落する。これを新卒時からずっと見ているので、どんどん逃げ方に卓越するようになる。この傾向は官僚組織だけでなく、秀才エリートの多い金融機関や財閥系の大企業、新聞社や放送局のようなマスコミでもよく見られるものである。しかし、この方法が取れるのは「親方日の丸」的な、何があっても潰れない組織だけである。

だが、一般の企業や組織ではそんな悠長なことは言っていられない。一つの失敗が、即サドンデスに繋がる。マネジメントにおいて語られるリスクヘッジとは自分だけが助かるものではいけないのだ。自分一人が助かりたいのなら、リスクから逃げ隠れすればいいかもしれないが、それはマネジメントにおけるリスクヘッジではない。組織やスキームなど、システム全体が想定外の事態に直面しても、その被害を最小限にとどめ、次のリカバリーへと続ける可能性を維持することだ。

このようなリスクヘッジを実現するためには、リーダーが全責任を背負って肚をくくってリスクを自分で受け止め、全身で跳ね返すことを意味する。これは先祖から受け継いだ資産がある人なら容易にわかることだ。自分の代で「万世一系」な「家産」を潰してしまったら、あの世に行ってからご先祖様に合わせる顔がない。このためには受け継いだ資産を保ちつつ、自分の代でさらに増やす算段をする。まさにポートフォリオ運用をすることがリスクヘッジとなるわけだ。

少なくとも日本においては、親が官僚やサラリーマンの家で育った人がベンチャーを立ち上げて成功した例は非常に少ない。ほぼ大体、レベルは色々あっても親は経営者か資産家である。ソニーの盛田さんだって、実家は愛知の有名な伝統ある造り酒屋だ。そういう環境にいると、自ずと自分が全責任を負ってリスクを受け止めて跳ね返す経営者のマインドを身につけるチャンスが生まれる。サラリーマン社長では、危機や不祥事が起こったらひとたまりもない。

情報社会においては産業社会以上に変化のテンポが速まる。とはいえ想定内の事態が続く限りは経営もAIで充分である。が、秀才エリートのように既知の情報から演繹的推論で答えを出すAIでは、根本的に想定外の事態には対応しきれない。やはりここでも人間の出番が問われることになる。年功序列も偏差値ももういらない。答えを出せる人間だけが組織の上・コンピュータの上に立てる。これからの時代、肚をくくって真の意味のリスクヘッジができる人間だけが経営者たりうるのだ。



(23/05/12)

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