社会性を失った左翼政党





産業社会から情報社会への移行に伴い、自らのレーゾンデートルだったイデオロギー的な対立が意味を失い、ジリ貧になっている左翼政党。自分達の置かれている社会的ポジショニングが理解できれば時代に合わせた改革ができるのだろうが、それができないからこそ、いつまでも「赤い御旗」に縋って百年一日のごとき「呪文」を唱え続けていると言った方が正しいかもしれない。

流石に、21世紀に入って20年が経ち、「振り返ると、支持者は昔からの老人になった活動家しかいない」状況となった。デモや集会をやっても、同じ面子が数えるほどしか集まらない状況をみれば、幹部は焦りを感じても当然だろう。しかしここに至って貧すれば鈍するというか、末期症状としてこのような劣勢を挽回すべく、反社会的とも言えるテロ行為を繰り返すことで、なんとか自分の存在感を主張しようとする傾向が強まっている。

最初はまだある程度の支持が得られそうな材料として、「弱者の支援」や「犯罪的行為の撲滅」を錦の御旗に誰かを叩く運動を繰り返していたが、それで手ごたえが得られたのか、あるいはもはや叩く格好のネタがなくなったのか、自分と意見の異なる人々を「意見が気に食わない」というだけで叩いたり、全く合法的で一般的なビジネスとして行われているものをあたかも「黒い仕事」のごとくつるし上げて叩いたりするようになった。

まあそういう論調でも、昔から左翼に同情的な新聞とならばそれなりに「正義」っぽく取り上げてくれるかもしれない。しかしそれでは身内のマスターベーションだ。意見は全く世の中に広がらないし、それによって輿論が動かされることもない。かえって世の中は白い目で見て、「近寄りがたい恐い人達」と思うだろう。そんなことをしても、支持者は減る一方だ。もっとも、エセ同和のようにそれも狙いなのかもしれないが。

これはある意味学生運動の末期に支持を失った活動家が、爆弾や猟銃で武装して本当のテロリストとなって暴れだし、全く世間から爪弾きにされてしまった流れと重なる。構ってチャンではないが、自分の存在が薄くなって無視されているような気がして、なんとか世の中で目立とうと派手な騒ぎを起こす。それはそれで話題にはなるが、沸き起こるのはネガティブな話題だ。そして騒げば騒ぐほど、世の中から乖離してゆく。

少なくとも60年代末の時期においては、ドラッカーが「断絶の時代」と論じた世界的なユースクエイクの追い風を受けて、時代を変革する波の一つとして学生運動は捉えられていた。自ら活動家として参加しないまでも、ある程度の心情的なシンパシーを持って学生運動を受け止めていた若者も少なくない。私は当時ティーンズだったが、時代の風を生で受け止めた者の実感として、少なからずそう感じている。

一方の左翼・革新政党も、バブル期までの右肩上がりの時代においては、それなりに支持者がいた。1989年の第15回参院選で土井たか子委員長率いる当時の日本社会党が「マドンナブーム」を引き起こし、参議院で自民党の単独過半数割れを引き起こしたこともあったほどである。しかしバブル崩壊以降の安定成長とグローバル化の波の中で、そも教条的な姿勢は一般の生活者の意識から乖離し、自滅的に支持を失ってゆくことになる。

そういう視点から見れば、実はバブル崩壊はイデオロギー崩壊だったのかもしれない。考えてみれば「ベルリンの壁」が取り払われたのはバブル絶頂期の1989年。ソ連崩壊はバブル崩壊で株価や地価の暴落がはじまった1991年。まさに期を一にしていたのだ。「失われた30年」で「失った」のは経済成長ではなく、イデオロギーの崩壊を見ていながらその後30年も左翼と赤い旗をのさばらせてしまった社会変革の可能性なのだ。



(23/06/16)

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