共産主義を育てた日本





20世紀の世界史に名を残す共産主義大国といえば、旧ソヴィエト連邦と中華人民共和国である。しかしこの両政権が成立する裏には、日本との戦争が大きく影響している。ソヴィエト連邦でいえば、きっかけは日露戦争である。全盛を誇ったロシア帝国のツァーリが傾きだすきっかけとなり、その後十数年でレーニンの率いる共産党がロシア革命を起こし、共産主義のソヴィエト連邦を築くことになった。

中国共産党でいえば、盧溝橋事件以降日本が旧満州から中国本土内に攻め込んだことで第二次国共合作が成された。これにより共産党の勢力が事実上公認されることになって勢力圏を拡大し、日本の降伏後旧満州地区で勢力を握った中国全土を掌握することになった。いずれにしろ日本が攻めたことで、それまでの政権が揺らいで共産主義勢力が勢いを付け、権力を握るきっかけを作った。

アジアの共産主義政権には、他にベトナムや北朝鮮がある。このどちらの国も建国前に日本による支配があり、それが共産政権での独立を引き起こしたという意味では、大いに影響があったといえるだろう。もちろんソ連が直接的影響力を発揮して共産党政権を築いた東欧などは例外だが、少なくとも冷戦の東側の主役たるソ連と中国を中心とする共産勢力圏の樹立には、日本が大きく関わっていることは間違いない。

事実毛沢東自身も、結果的に日本の侵略があったからこそ共産党が政権を取れたという趣旨のことを語っている。もう一歩の雄であるスターリンは、第二次世界大戦が東西二正面同時展開になることだけは避けたかったので、日本とドイツに対して巧妙な駆け引きを行った。日本が結果的にその飴玉に乗ったことで、日本とドイツが同時にソ連に攻め込む事態は起こらず、結果としてソ連が生き残り戦後の冷戦状態を生み出すことに繋がった。

広い意味で考えれば、列強の最後の椅子を取り合っていた後発国の中での争いが19世紀の後半から20世紀の初期にかけて起こったが、その中での勝ち組はなんとか椅子を手に入れた一方、負け組は旧政権が崩壊し共産主義政権が成立したということもできる。日本史という視点から日本とその周辺だけで歴史を考えるから自虐史観だ皇国史観だと矮小化するので、世界史的に見れば19世紀からの事象は全て近代産業社会成立過程の一連の流れとして捉えられる。

クリミア戦争から露土戦争にかけての帝政ロシアとオスマントルコの戦いに始まる、ロシアをめぐる駆け引きが軸にはなっているが、ロシアの伸張を警戒する西欧列強の対応がそれ以上の西方へのロシアの拡大を押さえ、結果的に東方への拡大を策するようになる。その時点において日清戦争に日本が勝利し、清国の国威が傾くこととなった。これに乗じて英国の利権だった清国に他の列強も手を出すことになる。

このため同様に最後の席を争っていた日本と東アジアでの軋轢が増し、日露戦争へと繋がってゆくのが帝政ロシア崩壊へのロードマップである。結果的に日英同盟のようにアンチロシアの列強が日本を代理戦争の立役者として後押ししたことにより、日本は最後の椅子への切符を何とか手に入れることができた。その一方で出口を失ったロシアは内部崩壊をきたして、レーニンの共産政権が樹立することになる。

その後は最後の椅子を手に入れた日本と、その影響下に置かれることになった東アジアの国々との関係が始まる。そういう意味では、中国においては辛亥革命により清朝が滅亡するきっかけとなった日清戦争と、国共合作から共産党が本土を統一するきっかけとなった日華事変と、二段階のインパクトを与えたことで時間を掛けて変化を引き起こした。それでも旧王朝を倒して結果的に共産政権ができる要因となった点は同じである。

このように近代日本の世界史への影響は、バタフライエフェクトのような間接的なものではなく、後発国同士の争いの中の勝ち負けという、20世紀の政治的歴史を形作る重要なエポックの中で直接的な足跡を残し、その後の世界史を形作る重要なプレーヤーであった。特に共産圏を形作って温存し、戦後の冷戦体制をもたらす上で日本は極めつけのキーマンだったことを日本人として忘れてはならない。



(23/06/23)

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