限界集落





限界集落に住むこと。それは何が起ころうともオウンリスクで対処することが前提になる。甘えがあったのでは、そういう極限状態で生きてゆくことは出来ない。ある意味危険を伴う登山と同じだ。もちろん事故が起こり最終的には救助隊が出動しても、そのコストを自ら支払うことを前提に行動しなくてはならない。誰かに頼ったり、公的支援を求めたりするのではなく、何が起ころうとも全て自己責任・自己調達・自己達成でやること、そしてそれが出来る人であることが前提だ。

ただそれは、時代により条件が異なる。かつて世界にフロンティアが広がっていて、そこを勢力圏に取り込むことが国威発揚の需要な手段だった時代は、人跡未踏の地を開拓して国民を住まわせることは国権拡大のための重要な戦略だった。このため、国費を投入し丸抱えの好待遇で開拓民を募集し、そこを領土とすることも行われた。これはフロンティアが残っていた19世紀ごろまでは、きわめて基本的な領土戦略の一つだった。

日本においても、明治初期の北海道での屯田兵とか、戦前に日本の領土だった樺太・千島への補助金付きの移住は、国防という大義名分があったからできたことである。お互い様というか、その向こう側のソ連もシベリア開発と防衛のために、補助金付きで移住を進めていた。これは明らかに国策として資金を投入してそこに住まわせるのだから、リスクに見合う分、主として金の面ではあるが政府なり公的な組織が援助するのが前提になる。

そのようにして移住した人達がそこに住み続けるのは、元来の「移住した目的」である政府の補助が続くことが前提となる。しかし20世紀後半に入ると時代は変わった。地球上からフロンティアはなくなり、領土で覇権を争う「帝国主義」は過去のものとなってしまった。これとともに補助金付きで移住した人達は、資源が発見されたり、ウマく産業が根付いたりした「稀有な例」を除くと、ほとんど棄民状態におかれることとなった。

こうなると、住民にとってはもう住んでいるいみはない。「逃げ場」を持っている人達は「レッドオーシャン」の開拓地を捨て、「ブルーオーシャン」を求めて移住する。それが叶わない人だけが、そこに残ることになる。正確に言うと、自ら生きる努力をせずバラ撒きに目がくらんで移住してきた人達は、次の安住の地を探す努力すら面倒と放棄してそこに住み続けている状態である。

冬山登山と同じで、「死ぬのも自由」というのを前提にそこに住むのなら別に構わないが、こういう状態になって困ってくると、補助してくれ助けてくれと叫びまくるのは滑稽千万である。今の道東・道北の産業のない地域や山間僻地に住んでいる人達は、こぞって「バラ撒きを手厚く」と叫んでいるが、これはおかしな話である。どんなに手厚い保護をしたところで、北海道なら札幌圏にでも団地を作ってそこに移住して頑張ってくれが関の山だ。

このような地理的・物理的な限界集落ではなく、社会的な限界集落というのも今は存在している。左翼の活動家などというのは、その典型だろう。社会情勢の変化から社会的存在意義を失ってしまってもなお、かつての栄光を信じてそこにしがみついている人達だ。来ような人達は、社会的なエコシステムからはじき出され、その外側で生きている。当然今の世の中では、その生活を維持してゆくことも困難だろう。

その結果こういう活動家は、いろいろ屁理屈を付けて国や地方公共団体を脅し、福祉や人権と称してバラ撒きに預かるようになった。元を辿れば、反社に食われてしまった「エセ同和」の手口に行き着く。エセ同和自体左翼や野党の支持があった同和運動を乗っ取ったものであるゆえ、活動家にとってはその親和性は高い。おまけに学生運動華やかな70年頃、活動家の闘士はヤクザ映画が好きだったのだから、これはピッタリだ。

もちろん思想信条の自由があるので、極左だろうと信奉するのは自由である。しかし、そんな連中を公的資金で支える必要はない。好きで敢えてやっているのだから、やるんなら勝手にやってくれということ。ちゃんと自分達で喰いっ淵を確保できて初めて、その主張も世の中から聞いてもらえるというものだ。それができない間は、親に小遣いを貰っているガキと変わらない。まあそういえば、かつての学生運動も親に学費を出してもらっている「ガキの遊び」だったわけだが。



(23/06/30)

(c)2023 FUJII Yoshihiko よろず表現屋


「Essay & Diary」にもどる


「Contents Index」にもどる


はじめにもどる