篤志家精神





明治以降の近代の日本の経済発展において、最も大きな役割を果たしたのは、各地域におけるリーダー資産家であった「篤志家」の存在である。多くの資産を持つ実業家であることは間違いないが、その後の経済発展と共に現われた「成金」とは違い、個人の利益を第一に追求するのではなく、地域やコミュニティーの発展があってこそ経済が成長し、ひいては自分の資産も増えるという考え方を持っていたのが特徴だ。

これはまさにサステナビリティー、今で言うところのCSRやSDG'sを先取りした発想である。これは彼等のような地域の資産家層が、江戸時代の間に社会的責任に目覚め、それをきちんと果たしてゆくことこそが、将来的な発展性と継続性を保証してくれるものであることをなにより認識していたからである。それは、そのような富裕な地主や商家の家訓にも多く見出すことができる。

そして明治に入りその思想が開花する。彼等が何よりも地域の発展を願い、その資産を鉄道・銀行・学校など、地域の経済発展のインフラとなるものに惜しげもなく優先的に投資したからこそ、草の根的に経済が発展し、日本の近代化が成し遂げられることになる。実際明治期の国家予算は限られており、このような篤志家の投資が「上からの近代化」ではなしえなかった「最後の列強」の椅子をかろうじて手に入れることに繋がった。

ここで、大事なのは篤志家のポートフォリオを構成する際の発想である。地域に対しなににでも気前よくばら撒いて投資したわけではない。本当に地域の経済発展に役立つかどうかを自分の審美眼で確かめ、確実なものだけに納得づくの上で投資したのだ。地元に根付いているからこそ、しっかり投資する意味や価値のある対象を見抜き、そこに対して重点的に投資するのだ。

だから、官庁の補助金のように単にバラ撒きを求めて自分の努力の糧としない人には与えることはない。得たものを百倍・千倍にして返せるポテンシャルのある人を選抜して、学資を与えたり、高等教育を受けた後選抜してポジションに付けたりしたのだ。同様に地域のインフラへの投資も同じである。政治家の利益誘導の「我田引鉄」ではなく、地元の産物を大市場に出荷し、より多くの経済効果を生む鉄道にのみ投資した。

これは個人だからこそできることだ。一人の人間の判断で何にどれだけ投資するかを決定できる。大きな組織や機関では内部で部門ごとに役割が分かれているだけに、ある人物の眼力と判断力だけで全てを決定することは難しい。できるのはオーナーがガバナンスを働かせている企業か、ファウンダーが全権を掌握しているベンチャー企業ぐらいのものであり、一般の大企業ではどうしても当り障りのない判断になりがちだ。

しかし、本当に人や事業を育てるためには、大胆な投資の選択が最も重要である。「広く・浅く」は最も意味がなく、無駄銭に終わってしまう投資法だ。しかし、大組織による投資判断では、一番リスクが小さくなる「広く・浅く」になりがちである。可能性をしっかり見切って、高い可能性があるものに対して重点投資する。リスクも大きいが、リスクを取ってこそリターンがある。この大胆さがなくては、伸びるモノもも伸びなくなってしまう。

バブル崩壊後の失われた20年・30年といわれるが、それは企業・組織が今述べてきたような理由でリスクを取ってチャンスに賭けることが出来ないからである。それはそもそも「波に乗る」だけでそこそこ稼げた高度成長期に、肚をくくって戦略的経営判断ができないサラリーマン社長ばかりが出世したことのつけが回ってきただけである。リスクを取らずともリターンがあった高度成長期が御目出度いというだけのことだ。

資金と投資は日銭とは全く質の異なるお金であること(これがB/SとP/Lが必要な理由であるが、身体感覚的にそれがわからない人はトップに立つべきではない)は、資産を持った家で育てば自然に身につく理解である。これがわかっていて初めて長期的・戦略的視点からの投資ができる。短期的なサヤ取り運用ならば、サラリーマンでも賢い人なら理屈でできるだろう。将来を見越した長期的な投資はそれともまた違うのである。

昨今流行のSDG'sも、日本では17の目標を取ってつけたようにやればいいと思っている人が多いが、その本質は自社の本業が17の項目のどれで人類社会に貢献しているかというところにある。これが理解出来ていないのも、高度成長期に資産を持った家で育っていない偏差値だけ高い秀才エリートが跋扈していた弊害である。いまこそその対極にある篤志家の行動様式を振り返り、それに学ぶべき時なのだ。



(23/07/14)

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