騙される人





インターネットの情報は基本的に誰でも何でも流せるので、あくまでもユーザが自己責任においてそれを選別して使わなくてはならないものというのは、インターネットが生まれた時からの「掟」である。昔から接してきた人にとっては、「役に立つ情報」も「とんでもないエセ情報」もミソクソ一緒に出てくるものであり、活用するには使う側のリテラシーでそれを選別して利用しなくてはならないことはよくわかっている。

既存の国家的事業から生まれたレガシー通信メディアと違い、草の根から生まれてきた電子メディアは、ある意味「機会の均等」を実現することがその基本にあった。「機会の均等」は独裁や権威主義を排して民主主義を実現する上でのカギであるが、それは同時に利用はあくまでもユーザのオウンリスクに基づくものであることを意味する。まあ、真の意味の民主主義も自己責任が取れる人達の間でしか成り立たないものではあるが。

誰でもコンテンツをアップロードできるSNSや動画配信サービスが普及してから、「クソ情報」ばかりがめったやたらと増えた。しかし、それでも有用な情報は多く存在するし、インターネット上の「集合知」を活用しなくては成り立たないことも多い。iOSの活用など、開発者用マニュアルとか持っていない一般ユーザにとっては、そういうボランティア的な「草の根Q&A」がなくては全く手が出ない状況だ。

AIもインターネット上の「知識」を活用することで、どんな秀才も生身の人間では敵わない「知の権化」になることができる。しかしそれにも「役に立つ情報」も「とんでもないエセ情報」をかぎ分けるリテラシーが必要だ。話題のChat-GPTも、コンピュータサイエンス等極めて強い分野もあるが、ギャグのような答えを出してくる分野もある。そういう意味では、まずリテラシー自体をAIが学習することが今後の実用化のカギとなるであろう。

そもそもインターネットの利用にはこういう構造があるため、ここに至って大きな問題が起こっている。それはスマホの普及と同時に、インターネット上の情報を活用するリテラシーが低い、あるいは無いユーザも爆発的に増えてきたことである。彼らは検索して出てきた結果を無条件に信用してしまうのだ。さらに作成する方も知ったかぶりで、さも自分が良く知っていてその道の権威のような顔をしてアップロードするから始末が悪い。

薀蓄を語っているタイプの動画はその過半数がこういう質の悪い情報といっていいだろう。少なくとも私がライターとしてギャラを貰っている音楽・楽器や鉄道趣味・模型趣味、写真などの領域では、明らかに間違った内容を偉そうに語っているものが非常に多い。過去の出版物などをちょっと調べればすぐにわかるようなことでも、勘違いなのか覚え違いなのか、全く間違っていることを平然と述べているコンテンツに良く出くわす。

あるいは、その内容についてそれなりに実績のあるこちらに確認を取りに来る人もいる。少なくとも商業誌の仕事ならば、クレーマーがかなり多いので、ライターや編集者は内容については複数の資料に当たって裏取りをするし、表現にも気を遣うのが当然だ。しかし、そういう職業的経験を持っていない素人が生半可な知識と想像で偉そうなことをいうから、おかしなことが起こる。問題が起こったら、消せばいいとでもおもっているのだろうか。「魚拓」は永遠に消えないのだが。

とはいえ考え方を変えると、こういうコンピュータのアウトプットを無条件で信じてしまう受け身の人というのは、AIの時代においては「コンピュータの言うことをきく人」ということもできる。であるならば、AIがその能力を駆使して「こういう受け身の人間を手玉に取る甘言」をささやけば、こういう人は簡単に「コンピュータに使われる人間」になってしまう。詐欺やマルチ商法の手口を学習させれば、かなりその気になる人も出てくるだろう。

80年代からパソコン界周辺で語られていた「コンピュータはコンピュータの上に人を作り、コンピュータの下に人を作る」という格言。今に至って、この「コンピュータの下に人を作る」手口がこれであることがわかった。しかしこういう人達は、そもそも「コンピュータの言うこと」を信じているのだから、対称的ではないものの双方納得づくの関係だし、ある意味win-winであることも間違いない。それはそれで、こういう世界はハマってしまえばそれなりに幸せな世界になるのだろう。



(23/08/18)

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