ウソを信じる人





かつては人にウソをつく時には、専門家も騙されるような巧妙な仕掛けが施してからつくものだった。「神の手」藤村元研究者の旧石器捏造事件などが代表的だろう。なにせ、斯学会自体があっさり騙され、学説にまでなってしまったくらいである。もちろんリアルタイムで疑問を呈していた研究者もいたが、相当な手間とリソースを掛けてバレないように偽装されているだけに、その真相を暴くためにはそれ以上の手間とリソースを必要とする。

しかし最近では、れいわ新鮮組の山本太郎代表のように、誰にでもわかる真っ赤なウソでもデカい声で100回言えば真実のように聞こえる、とばかりに厚顔無恥なウソ八百を語りまくる輩も多い。特にネットワーク上でこれ見よがしにSNSやYouTubeなどのUGMで偉そうな論説を展開している人達には「これ系」が良く見られる。特に、左翼・リベラル系の主張をしている人に多いのも特徴だ。

自分自身の主張を第三者的・客観的に聞ける耳を持っていれば、恥ずかしくてとても主張できそうにないことでも胸を張って語る。全く根拠がない思い付きでも、しっかり裏取りをしたかのごとく自信満々に主張する。客観的に真相がわかっている人からすると恥ずかしくて聞いていられない内容だが、本人は一点の曇りもないかのごとく、堂々と叫び続ける。ちょっと常人では考え辛い所業だ。こういう人は一体どういう精神構造をしているのだろうか。

まず考えられるのは、本人が最初のところで思い違いをしている場合だろう。「シミュレーション」を「シュミレーション」と間違えて覚えてしまった人が、恥じるところなく「シュミレーション」と叫びまくってしまうような場合である。この場合はある意味「ミス」なので、誰かがちゃんと教えてあげれば、気が付いて直すであろう。それでもクセで出てきてしまうこともあるだろうが、それは罪のない間違いだ。

次に考えられるのは、最初はウソでも繰り返している内に妄想が広がり、自分でもそれが真実だと思ってしまう場合だ。かつての「ロス疑惑」の三浦和義氏などが典型的だ。実際はクロなのは間違いないが、「私はやってない」と繰り返し主張するうちに、自分はやっていないし潔白だと心から信じるようになる。ある種の現実と空想の区別が付かなくなる精神疾患だが、こういう病の人達は一定数存在する。

これら二つの場合は、自分でも本当にそう思っているのことがベースとなっているのだから、厳密に言えば騙しているわけではない。ウソを付いているし、その結果第三者が傷ついたり迷惑したりすることは間違いないので、それに対する責任は発生するものの、本人もまた「騙されて」しまっているわけである。罪があることは間違いないが、ある意味「過失」といってもいい。

それ以上にヤバいのは、そうではなく故意にウソをつき他人を騙そうとする人間である。自分はその主張が間違っているとわかっていても、アジテーションとして強く主張することで勘違いした人を増やし、彼らを自分の支持者としてオルグしようというためのウソである。これは犯罪だ。左翼・リベラルに多いウソはこのタイプだから始末に悪い。

彼等は、そもそも共産主義社会などというありえない空想を掲げて、人々を騙すことで権力を握ろうとしたエンゲルス・レーニンの弟子達だ。そういう「伝統」があるからこそ、自分達の権力を握るためなら、どんなウソもいとわないというのが共産主義者の特徴である。マルクスのように「ユートピアとしての共産主義社会」を夢想するのは問題ないが、あたかも現実に今すぐ実現するように語る事自体荒唐無稽なウソである。

もっとも、下っ端の左翼活動家の中にはそのアジテーションに完全に騙されて、本当に共産主義の理想郷が作れるものと勘違いして参加している人もそれなりにいたりする。こういう人達は第一のタイプだが、幹部はみんなウソを知って騙している確信犯である。自分達が権力を握るための手段として、ウソを掲げて人々を騙している。その結果は全体主義の独裁体制しかないことは、20世紀の歴史が示している。

昨今福島第一原子力発電所の廃炉作業に伴う三重水素水の放出で、中国が科学的に全く根拠のない難癖をつけてきているが、これなども共産党ならではの荒唐無稽なロジックだ。 まあ、中国は「上に政策あれば、下に対策あり」で、あちらの黒社会とこちらのヤクザが連携して大量に密輸(元々ホタテやアワビ、ナマコの密漁は、ヤクザのシノギだ)するだけのことなのだが。



(23/09/01)

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