二つの「バラ撒き」





官僚と政治家が組んでバラ撒き行政を行うことで、官僚にとっては天下り先が増える一方、政治家はバラ撒き利権にありつくこうとする民間企業に利益誘導するという、政・官・民三方一両得の利権構造は、田中角栄首相が思いつき具現化したものである。当時はその主役は公共事業であった。道路やダム、ハコモノ行政など、税金を投入する大型工事が全国に溢れ、角栄氏は「土建屋宰相」と呼ばれ高度成長末期の経済をさらに押し上げた。

その後もドルショック・オイルショック等の波はあったものの、基本的にバブル景気が崩壊するまでは、バラ撒き行政の主流はこのような政府の直接支出であった。全国の高速道路網など、その恩恵も確かにあった。だがバブル崩壊以降、このようなモデルは立ち行かなくなる。そもそも景気が右肩上がりの高度成長期たったからこそ、将来の景気拡大による税収増を当てにしてこのような大型バラ撒きが成り立っていたという事情がある。

90年代末からの行革意識の高まり、00年代の小泉改革などにより、さしもの官僚もこの手の直接支出はやれなくなった。今思うとバブル崩壊以降は、政府主導の大型プロジェクトといえども政府資金だけでは実現できず、民間の資金を活用して官の資金と合わせて大型のプロジェクトを実施するという、どちらかというと民高官低な資金の流れが特徴的であった。この時期に、それまでの公共事業にに代わって登場したバラ撒きがが補助金行政である。

いろいろな理由を付けて、税金を投入する補助金を設定する。その補助金を政府や地方公共団体から直接支給するのではなく、実際の支払業務を行う公益法人を作れば、そこに天下りの椅子が作れるし、補助金のかなりの部分を天下った元官僚の給与として合法的に支給することも可能になる。一つ一つのプロジェクトの金額ではハコモノにかなわないが、なんせ補助金は小出しにすればいくらでも理由が付けられる。おまけにそれぞれに天下りの椅子を作ることが可能だ。

バラ撒かれる国民の方からしても、土建屋や建設業、業界団体など限られた層に集中的にバラ撒かれるより、個々の企業や組織、個人などが直接バラ撒きの対象となって恩恵にあずかれる可能性が増してくる。かくして21世紀は補助金バラ撒きの時代となり、マジメに仕事をやるよりいわゆる「公金チューチュー」の方がおいしいと、甘い蜜を求めて官にブル下がる層が出来上がってきた。

確かに社会の役に立っている補助金もそれなりにあることは事実だ。一概に補助金を悪と決め付けるわけにもいかない。しかし、支出している補助金の全てが真水として給付されるわけではないことは紛れもない事実だ。かなりの額が頭ハネで天下り官僚の賃金の資金に化けている。場合によっては頭ハネ分の方が真水より多いということもある。税金からの支出においては、補助金の目的以上にこの「頭ハネ」の部分が問題である。

つまり補助金支出の全てが、目的に添った補助金になっているわけではないのだ。これでは一旦税金として集めてから補助金として支給する意味がない。税金として徴収してからの支出ではなく、アメリカのように民間で直接補助すべき相手に寄付をして、それに見合う金額を減税すれば、補助金は100%真水になるではないか。これの方がよほど効率的だし効果も高い。これで困るのは、天下り官僚だけだ。

さらにコロナ騒動ですっかり化けの皮が剥がれてしまったが、「支給するために支給する」すなわち天下りの資金に供すべく、「ためにして作られた」補助金もかなり多い。しかしデフレ・低成長が続いている状況下では、このバラ撒きに飛びつく人が続出した。途中で政権交代もあり、もともとバラ撒き好きな民主党政権が成立したこともあり、補助金によるバラ撒きは完全に定着した。

こうなると最早官僚得意の、内容そのものは一切吟味せず「形式要件さえ満たせばバラ撒く」ということになる。その結果10年も経たない内に日本社会はすっかり補助金漬けになってしまった。こうなってくるとその上を行く悪いヤツが現われる。「ウソでも通る申請書を書いて補助金を分捕り、山分けを提案する」という、税理士や社労士等で「黒い士業」が続々と登場し始めたのだ。

コロナ騒動では流石に問題になったが、基本的に多くの補助金は役所特有の書類審査で内容に対する評価はなく、求められている形式要件を満たしてさえいれば受理される。役所の側も、何か積極的に支援しようとしてやっているのではない補助金が多いため、予算を使い切ること(それは言い方を変えれば天下り用資金をふんだんに流すこと)しか考えていないからだ。

真の意味の行政改革の本丸はここにある。官僚の特性として、内部では派閥など足の引っ張り合いをしまくっているが、一旦外部から圧力がかかると一致団結してこれに立ち向かって潰す、というものがある。天下りバラ撒き利権の縮小は、どんな官僚も決して許さない最後の砦だ。官僚自身の手では絶対に改革が行えない領域。こここそ、政治家が政治力で解決しなくては永遠に改善されない。日本社会の最大の癌がこれなのだ。



(23/09/22)

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