住めば都





AIの進歩と実用化の進展により、この1~2年で「21世紀の情報社会の掟」は、多くの人にかなり詳細に見えてきた。もちろんこの場で何度も語っているように、70年代末から80年代初めの「マイクロコンピュータ革命」の渦中で問題意識を持っていた人にとっては、これはそのころから「見えていた」ことではある。そういう意味では、より多くの人に「リアルな近未来」として具体的イメージが描けるようになってきたというべきだろう。

そのポイントは「ニュータイプ」よろしく、人類が「コンピュータを使う人間」と「コンピュータに使われる人間」と、その能力の違いから二つの階級に分化するところにある。この構造変化の捉え方こそ共通ではあるが、これをどう評価するかは価値観によって変化する。ある人にとっては新しいフロンティアとそこでのチャンスが拓ける可能性にあふれた時代の到来とみえるだろうし、ある人にとっては今まで築き上げた既得権の崩壊とみえるだろう。

後者の人たちにとっては、産業革命時のラッダイト運動よろしく自分達の居場所がなくなってしまう危機と理解され、必死に抵抗運動を起こす可能性もすでに萌芽として見られている。産業社会における「平等」感に浸り切った人には、この「ニュータイプの階級分化」がもしかすると今まで享受してきた平和と豊かさから切り捨てられるディストピアの到来と見えるかもしれない。しかし、それは今まで甘えてきただけのことだ。

そもそも人間を労働力としか考えず頭数だけで捉えていたのが産業社会である。19世紀においては機械化は進んでも生産の自動化が実現していなかったので、工場には生産量に応じた「機械を扱う工員」が不可欠だったし、20世紀に入ってからも運営管理にともなう情報処理を多数の事務員による「人海戦術」で行う必要があった。産業社会は常に多くの「人手」を必要としたのだ。このため人間の捉え方が「質より量」なのが産業社会の特徴である。

そのスキームの下での「平等」観がどんなものであったかは、推して知るべしというべきだろう。本当は一人一人の間で歴然とあった質的な違いを「労働力」という視点から均一に扱うため、ひとまず見て見ないふりをすることで成り立っていた平等であるということができる。すなわち産業社会における「平等」観とは、寄らば大樹の陰の「甘え」に基づく大いなる「誤解」である。しかし「甘え」好きな人達に情報社会ならではのメリットを全面に打ち出すことができれば、この「誤解」を解くことは可能だ。

後者のような考え方をする人達の特徴は、これまたここで何度も論じたように、自分というモノを持たず「甘え・無責任」で「寄らば大樹の陰」な生き方を良しとするところにある。そして世の中にはこういう人々の方が多い。特に日本人においては圧倒的に多数派である。こういう人にとっては、寄り掛かれるしっかりした「大樹」があることの方が、自分がどう生きるか以上に重要である。

それを前提に情報社会という「シン・階級社会」における生き様をみてみると、新たな発見がある。「コンピュータに使われる人」がどのような生き様になるかを「使われる人」の側から見てみよう。「コンピュータに使われる」とは、まさにコンピュータというしっかりした頼れる「大樹」があり、そこにすがっている限り、たっぷり甘えられ、自分が責任を取る必要もない状況になっていることを意味する。あたかも親方日の丸の大組織に埋没しているのと同じ状態なのだ。

そしてそれが、今までのように公務員や大企業といった限られた人達だけに与えられるメリットではなくなる。あらゆる社会的要素が機械化・コンピュータ化されることを考えると、どんな人達にも「大樹」が与えられ「甘え・無責任」で「寄らば大樹の陰」な生き方が許されるようになるようになる。これを強調すれば、まさに「自分を持ちえない/持ちたくない人」にとってのユートピアが、情報社会の実現と共にやってくることを察知してくれるだろう。

ディジタルネイティブな若い人で、「甘え・無責任」で「寄らば大樹の陰」な生き方をしたい人にとっては、ウーバーイーツやアマゾンのロジスティックスといった、まさに「コンピュータに使われる」ことが目に見える仕事もそれなりに喜んで受け入れられている。これはこれで体力的には大変かもしれないが、精神的には楽なのだ。自分では何も考えなくていい。コンピュータに指示されることだけやっていれば済むので、欝になって悩むこともない。

こういう情報社会の生き方が段々伝わってきて、産業社会での「甘え方」に慣れ切ってしまっている中高年層にもそれなりに理解されるようになれば、情報社会への移行はそれほど混乱なく進むのではなかろうか。産業社会における「働き方の転換」は、本人の努力を強いる部分が大きい。しかし情報社会においては、やる仕事が変わっても相変わらず指示される通りにやればいい。こっちの方がよほど楽ではないか。情報社会も住めば都、もっと甘えられる社会になる。それを周知徹底させることが必要なのだ。



(23/10/13)

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